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茂太さんの死への準備
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生き方・教養
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 ◎ 死して土に還(かえ)る

『茂太さんの死への準備』
[著]斎藤茂太 [発行]二見書房


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 平成元年八月末、われら斎藤一族は複合隣居を実現、東京・府中市の斎藤病院隣に「集結」した。すなわち、複合住宅を建て、私ども夫婦をはじめ、四人の子供たちとその家族がおなじところに住むことになったのである。

 むろん私の心境の第一は、いまさら「引っ越しなんて面倒臭い、カンベンしてくれ」だったが、若い連中の意見にとうてい抗しがたい敗北主義が頭をもたげてくるや、「よし、若い(もん)のアイディアが、はたして成功するか失敗に終わるか、ひとつ見とどけてやろう」という好奇の心境に変化した。

 もうひとつ、いささかうれしくない思いも経験した。心中、あの木もこの木もなんとか残したいと「抵抗」したが、建築のためにムリヤリ樹々を()られてしまったのだ。

 私は旅行先では、かならず下を向いて歩く。私のアダ名のひとつに「下を向いて歩く男」というのがあるそうだ。下を向いて歩いて木の種を拾ってはポケットに入れて持ち帰り、病院や自宅の敷地の土に「よいしょ」と埋めこむ。国内であろうが外国であろうが、常にそうである。「上を向いて歩こう」ではなく「下を向いて歩こう」なのだ。何の種かわからなくとも、それが芽を出し、枝を伸ばせば、それで満足なのだ。

 かくて、わが家の「林」は国際的になり、樹齢二十年、三十年という、わが「お手植え」の木も珍しくない。このカスタニエン(マロニエ)は南ドイツ・チュービンゲンのマイン河畔の種からの実生、このタンネンバオム(モミの木)はおなじく南ドイツのシュワルツ・ヴァルト(黒い森)で拾った種がご先祖、といったぐあいだ。

 その木たちを、いくら(つい)(すみか)のためとはいえ、何本も伐ることを強いられたのだ。これが断腸の思いでなくて何であろうか。伐るためにつけた目印を見るのさえ、悲しくも寂しかった。

 栗の木やビワの木もたくさんある。しかし、どれも繁るにまかせてあるので、実がならなかったり、なってもごく小さく、食べてもちっともうまくない。私は、実を食べるために剪定するようなことはしない。自然のままがよろしい。亭々と伸びる木のほうが好きだ。私はとにかく実生が好きなのである。

 やがて成長した木々が、春になると芽を出し葉が繁り、枯れて落ち、朽ちて大地に還る――そのサイクルも好きである。死すれば人間もまた「土に還るのだ」というわが思いを見る気がする。その意味では、母が生前よくいっていたように、「灰にして飛行機の上からまいて」やれば、いや飛行機でなくとも田や畑にまけば、まさに人間は土に還るのだろうが。土葬や風葬ならその実感もわく。だが、いまの墓地は納骨場所をコンクリートで固めたりして、少々私の意に反している。

 親しい人が亡くなって納棺に立ち会ったとき、まだ小学生の孫たちが「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼びかけているのを見て、私は父が死んだときのことを思い出した。

 火葬の日、見収めに棺の(ふた)を開けて父の顔の周りに花を置いた。そのとき、まだ数えるほどしか言葉がしゃべれなかった私の娘・恵子は、棺のなかをのぞくと「おじいちゃま」と呼んだのである。それは、ほがらかな、有頂天な、喜ばしげな声であった。

 この折、周囲の者は娘に、祖父の死を説明してやろうにも、あまり幼なすぎて、何もいえなかった。

 むろん私にも記憶がない。せめて娘が小学生になっていたら、私はこう話して聞かせたのではないだろうか。
「おじいさまは土に還ったんだよ。木の葉やお花畑の草花が枯れたときや、猫や犬が死んだら土に埋めてやるのとおなじようにだ。でも魂は体から抜け出して、高いところからお父さまやお母さま、恵子のことを見守っていてくださるんだよ」

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