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世界一受けたい日本史の授業
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歴史
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■教科書で見た歴史人物の肖像画は別人だった!?

『世界一受けたい日本史の授業』
[著]河合敦 [発行]二見書房


読了目安時間:6分
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 みなさんはきっと、有名な歴史上の人物について、確固たるイメージを持っていると思います。ただ、そうしたイメージの多くは、テレビや映画の影響を強く受けているのです。

 たとえば水戸黄門(第二代水戸藩主・徳川光圀)──私たちが彼の容貌を思い浮かべるとき、きっとシワシワのおじいさんが頭のなかに現われるはず。それが、テレビドラマの影響であることは間違いありませんよね。

 でも、古記録によると、じっさいの水戸黄門は、たいへん色白で鼻筋が通り、面長で額が広い美男子だったとあります。彼に会った人のなかには、あまりの美しさに気絶してしまったという言い伝えも残っているほどです。

 このように、虚構(ドラマ)と史実とでは、まったくその容貌が異なるのです。

 若くて美男子の黄門様を想像してみてください。おそらく、みなさんの固定観念はガラガラと崩れ去ることでしょう。

 水戸黄門だけではありません。鬼平こと長谷川平蔵、暴れん坊将軍の徳川吉宗──この二人をイメージするとき、みなさんの頭のなかには、きっと中村吉右衛門さんや松平健さんの顔がよぎることでしょう。

 つまり、私たちの歴史上の人物に対するイメージは、ビジュアル的映像から形成されていく場合が多いのです。もちろん、肖像画や写真も、これと同じような効果を持ちえます。とくに日本史の教科書に出てくる肖像画や写真などは、それが本当に歴史上の人物を模写したり写したものだと信じていますから、その影響力はこの上なく絶大です。

 でも近年、驚くことに、有名な歴史人物の肖像画が、実は全く別人だったという説が次々登場して、じっさいに教科書から肖像画がどんどん消えてなくなっているのです。

源頼朝像に大いなる疑義! では、この武士の正体は?


 たとえば京都の神護寺に、神護寺三像と呼ばれる肖像画がありますが、そのうちのひとつが、これまでは源頼朝像だと考えられていて、昔は必ずといってよいほど教科書で『源頼朝像』として紹介されていました。

 絵は、似絵(にせえ)の大家・藤原隆信が描いたとされ、国宝に指定されていますが、きっとみなさんも、源頼朝といったら、この肖像を思い浮かべるはずです。

 ところが、です。十数年くらい前の教科書から『源頼朝像』の前に『(でん)』という文字がつくようになってきたのです。
「この肖像は、昔から頼朝だと伝えられている」という意味の『伝』です。

 その理由は、美術史の専門家らが「この像は、頼朝の時代から百数十年以上あと(鎌倉末期以降)のものである可能性が高い」と結論を下した結果が、教科書に反映したためです。じっさい、画中に像主の名は記されておらず、確かに頼朝であるという確証はいっさいないのです。
「この絵は頼朝を描いたもの」とする所蔵元の神護寺に伝わる話を信じてきただけなのです。

 頼朝でないとすると、この武士はいったい誰なのか?

 それは、室町幕府を創設した足利尊氏の実弟・足利直義(ただよし)だと、美術史家・米倉迪夫氏はその著書『源頼朝像 沈黙の肖像画』(平凡社)のなかで発表しました。

 米倉氏は、足利直義が神護寺に「請願成就を祈念して、兄・尊氏と自分の肖像を奉納する」と記した『足利直義願文』を根拠に、さまざまな観点から間接的な証拠をあげ、「源頼朝像といわれてきた肖像は足利直義を描いたものであり、そのほかの神護寺の二像は、足利尊氏と足利義詮(よしあきら)(尊氏の子で二代将軍)を描いたものだ」と結論づけたのです。

 いずれにしても、像主が足利直義だというのは、衝撃的な見解です。

 ただ、この米倉説については、説得力があるものの、学会のなかでは異論も少なくなく、まだ定説にはなっていません。けれど、歴史学者で絵画史料の読解を得意とする黒田日出男東京大学史料編纂所教授も、米倉氏の説を追証して賛同しており、おそらく近い将来、定説になっていくものと考えられます。

 こうした状況もあり、最近の教科書からは、神護寺の肖像画は消えてしまいました。

 それにしても、これまで藤原隆信の最高傑作だと教科書に記されてきた神護寺の肖像画、あの、凛々(りり)しい端正な肖像が頼朝でないというのは、それを信じてきた私にとっては非常にショックでした。

 きっとみなさんも、大いに驚かれたことと思います。

 ところが、こうしたことは、実は源頼朝だけに限らないのです。

聖徳太子像・足利尊氏像・武田信玄像にも「本人ではない」という説


 たとえば、聖徳太子像(宮内庁所蔵)。これについては何度もお(さつ)になっているので、知らないという人はいないでしょう。ところがこれ、はたして聖徳太子を描いたものかどうか、たいへん怪しいのです。 

 肖像が聖徳太子であるというのは、かつての所蔵元の法隆寺に伝わってきた伝承にすぎず、作製年代も、少なくても聖徳太子が死んでから100年以上あとなのです。ということは、たとえ太子を描いたものだとしても、きっとその容貌は似ても似つかないものだったはずです。

 さらには、足利尊氏像(京都国立博物館蔵)。あの、馬にまたがり、髪の毛を振り乱して疾走している像です。たぶんみなさんも、一度くらいは見たことがありますよね。

 ところがその足利尊氏像も、尊氏を描いたものでないといわれているのです。これについては、学会のなかではすでに定説になっているんです。

 では、いったい誰かということですが、それに関しては、細川頼之だとか、高師直(こうのもろなお)だとか、あるいは高師詮など、諸説があっていまだ確定されていません。

 さらに、絹本着色武田信玄像(和歌山県高野山成慶院蔵)も、武田信玄を描いたものかどうか怪しくなってきているのです。

 禿頭にもみあげ、それに立派な口ひげ──それが私たちが抱く武田信玄という戦国武将の姿だと思います。そんなイメージのもとになっているのが、今述べた長谷川等伯の作とされる、この肖像画なのです。

 しかしながら歴史研究家の藤本正行氏は、この肖像画についていくつもの証拠を並べ、像主を信玄でなく畠山義続だと主張しています。これについてはいまだ反対意見も強く、見解は割れていますが、ただ、信玄を描いたものでないことはだんだんと有力になりつつあります。

 いずれにしても、これまで紹介してきた疑惑の肖像画は、みな超有名な歴史上の人物ばかり。もし今後、さらに肖像画の研究が進み、こうした偉人たちの肖像画が、完全に他人の肖像だと判明すれば、私たちの思い描く歴史上の人物像も大きく変容してしまうでしょう。


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