「なりたい自分になる」とは、べつな言い方をすれば、「いまの自分を変え、べつな自分になる」ということだろう。
こういうと、「自分を変える」なんて、とてもムズカシイことのように思えたり、あるいは夢物語のように思えたりする人が多いにちがいない。
なるほど、現代は、夢を描きにくい時代とはいえるかもしれない。それにくらべれば、たとえば戦後の焼け野原から立ち上がった若き起業家たちは、大胆なチャレンジをしやすい環境にあった。世のビジネス・シーンは、焼け野原と同様にまっさらで、まさに無人の野をいくがごとくの状態だったのだから。
対して、いまの若者は、その頃よりも厳しい環境のなかに置かれている。あらゆる産業が成熟した(あるいは頭打ちになった)昨今では、新しい成功を生み出すにはよほどの努力とアイデアが必要になるからだ。
そこで、現代の若者たちは、二つのタイプに大別されるようになった。ひとつは、ゲームのように自分の先々を緻密に計算するタイプ。もういっぽうは、最初から挫折感にさいなまれて自分の殻に閉じ込もってしまうタイプだ。
ところが、どちらのタイプも、それぞれ重大なポイントをふまえそこなっているのではないか。
まず、前者の計算派は、「世の中はけっして自分の思いどおりには動かない」という法則を忘れている。だから、自分がこうしてああすれば、このようにうまくいくなどと、ロールプレイングゲームを攻略するような人生設計をしてしまう。ライブドアの堀江社長に憧れる若者のすべては、ホリエモンと同様の戦略をとれば同じような成功を得られると信じているフシがあるのだ。
解剖学者の養老孟司氏は『プロ論。』(徳間書店)のなかで、こういっている。
「先のことなんか、誰にもわからない。何もかも予想どおりにいくことなんか、ありえない。そのことを理解していることが、じつは最も大事なことなんです」
最近『NHKスペシャル』が、不良債権の増大によって崩壊した日本長期信用銀行の実態を詳細に伝えていた。経験も知識も豊富な金融のプロたちが、「土地の価値は永遠である」という予想を押し通したために、みずから破滅の道を突き進んでいったそのプロセスである。これなどは、「世の中は、自分の考えるとおりにはいかない」という法則を裏づける最大の好例といえる。
いっぽう、後者のタイプがふまえそこなっているポイントは、「人間は、自然に変わっていく」という真実だ。
そういえば、先の養老氏は、人間の記憶をめぐるある対談のなかで、「人間の脳は、年齢とともに変わっていく。だから、若者時代の自分と中年以降の自分は、別の人間であるとさえ言いうる」ともいっていたが、これは、自分の能力を限定する発想を一八〇度転換させる言葉といえるだろう。
つまり、最先端の脳科学からすれば、自分はダメだと決めつけることはいかにもナンセンスだということである。
ビートたけし氏は、中年になってから絵画に目覚めた。ある日突然、それまでに見えなかった色が頭のなかに浮かぶようになったのだという。本人は、事故で頭を打ったせいだなどとまことしやかに語っていたが、それはさておき、この不思議な出来事は、人間の脳が「変わる」ことをしめす実例のひとつと考えていいだろう。
たったひと言で結論をいうならば、「やってみなければわからない」ということだ。この結論は、どちらのタイプにも通用する。
どのみち、先々で何が起こるかはわからないし、自分の能力がどう変わるのかもわからない。そう考えれば、いろいろと計算することも思い悩むこともバカらしくなる。
「いまの自分を変えようとすること」は、たしかに勇気がいるものだが、その勇気は、案外、そんな大ざっぱなスタンスから生まれるものなのである。
人は自然に変わるのだから誰もが変われるのです。“無理だ”と決めつけないで、意識を変えてみませんか。