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名画 謎解きミステリー
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歴史
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『モナ・リザ』複数説を支える“失われた柱”の存在とは?

『名画 謎解きミステリー』
[編]夢プロジェクト [発行] 河出書房新社


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 レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』ほど、ミステリーに包まれた絵画はない。あの謎めいた「微笑み」のほか、目線の不自然さや背景に描かれている土地はどこか、といった不思議が、一枚の絵の中に隠されている。

 そのなかでも最大のミステリーは、じつは『モナ・リザ』は少なくとも二枚あったのではないかというものだ。

 一六世紀の美術史家ヴァザーリの著書『美術家列伝』によると、ダ・ヴィンチは、フィレンツェの富豪ジョコンドの依頼によって、一五〇三年頃に『モナ・リザ』の制作に着手している。しかし、四年後には、未完のまま作業を終えており、その絵はフランスのフランソワ一世のフォンテーヌブローの王室コレクションにあるとされている。
「万能の天才」といわれたダ・ヴィンチは、気まぐれな一面もあっただけに、作品を未完のままにしていたとしてもおかしくはない。

 しかし依頼された作品を未完だといって、依頼主に渡さないままでいるというのも、不自然だ。作者のダ・ヴィンチが未完だといっても、依頼主にすれば完成品といえるものだったであろう。そこでダ・ヴィンチは、ジョコンドに未完の作品を渡していたとも考えられる。

 そのほかに、ダ・ヴィンチはこの作品が気に入り、もう一枚手元に残していたのではないか。これが「モナ・リザ複数説」である。

 気に入ったテーマの絵を何枚も描くことは、当時の画家にとってめずらしいことではない。『モナ・リザ』が何枚か描かれていることもありえる。

 一五一七年、ダ・ヴィンチは故ジュリアーノ・デ・メディチの依頼で彼の愛人を描いた『あるフィレンツェの貴婦人』を枢機卿ルイ・ダラゴンに見せている。ダ・ヴィンチは愛着のあったこの作品を、『洗礼者ヨハネ』『聖アンナと聖母子』とともに死ぬまで手元から離さなかったとされる。

 ところが、彼の死後、『あるフィレンツェの貴婦人』は、『(しゃ)のベールをまとった愛人』としてフランソワ一世のコレクションに入り、これがやがて一六五二年に古代ローマ文化考証家(こうしょうか)カッシアーノ・デル・ポッツォによって『モナ・リザ』と認定されたのだ。
「モナ・リザ複数説」を支えるそのほかの根拠に、「失われた柱の存在」がある。

 ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を制作中の一五〇五年頃、訪れたラファエロがこの作品をデッサンしたが、それには背景にギリシャ風の円柱が描かれている。しかし、現在ルーヴル美術館に所蔵されている『モナ・リザ』には、その円柱はない。

 モデルはだれだったかという点も謎に満ちている。ジュリアーノ・デ・メディチの愛人説のほかには、この作品が欧米で『ラ・ジョコンダ』と呼ばれているため、富豪ジョコンド夫人とする説が有力だ。ただこの説では、作品が描かれた時期にはジョコンド夫人は二四歳ぐらいで、絵の女性と比べて若過ぎるという指摘も多い。

 ほかに、マントヴァ侯爵の夫人イザベラ、ダ・ヴィンチの母カトリーヌ、あるいは特定のモデルはいないといった説などがあるが、決定的な証拠はない。モデルがだれかがわかれば、ダ・ヴィンチがこの作品を大事にした理由もわかりそうだが。

 美術史上に残る名画だが、こうした謎は解き明かせそうにない。そのためにいっそう人々の興味と関心を惹きつけているのである。

レオナルド・ダ・ヴィンチ=1452〜1519年。イタリア。画家、彫刻家、建築家、科学者。「万能の天才」といわれ、その業績は比類がない。ルネサンスの三大巨匠の一人。「最後の晩餐」「岩窟の聖母」「受胎告知」など。

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