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世にも不気味な日本史 闇にうごめいた謎の人物篇
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歴史
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悲運の最期を遂げた天皇家を呪う最強の怨霊 ●崇徳(すとく)天皇(1119〜64)

『世にも不気味な日本史 闇にうごめいた謎の人物篇』
[編]歴史の謎を探る会 [発行] 河出書房新社


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 幕末、明治天皇は即位に際して、讚岐(さぬき)(香川県)の白峰(しらみね)まで、わざわざ勅使(ちょくし)を送っている。崇徳天皇の霊に陳謝(ちんしゃ)するためだ。さらに、白峰に(まつ)られていたその霊を勧請(かんじょう)し、京都に白峯(しらみね)神社を創建している。これらは、崇徳天皇の死後七〇〇年もたってから行われたことである。いったいなぜ、天皇家は、崇徳天皇の霊にそれほどまでに気をつかったのだろうか?

 それは、崇徳天皇こそ、天皇家がもっとも恐れてきた怨霊(おんりょう)だからである。

 崇徳天皇は元永(げんえい)二年(一一一九)、鳥羽(とば)天皇の第一皇子として生まれた。ただし、当時は院政の時代であり、政治的実権は鳥羽天皇ではなく、白河(しらかわ)法皇が握っていた。白河法皇は、ひ孫の崇徳をかわいがり、五歳にして、鳥羽を退けて皇位につかせる。しかし、やがて高齢の白河法皇が亡くなると、今度は鳥羽が院政を敷いて実権を握り、崇徳を退位させる。

 崇徳はこのとき二二歳。代わって皇位についた体人(なりひと)親王(近衛(このえ)天皇)は、第九皇子でわずか三歳。三歳の赤ん坊に皇位をとられたとあっては、立場がない。この近衛天皇が一七歳で亡くなると、崇徳は、これでまた自分か、実子の重仁(しげひと)親王が皇位につけるに違いないと喜ぶ。ところが、鳥羽は、崇徳の弟の後白河(ごしらかわ)天皇を即位させる。意地(いじ)でも崇徳に皇位は渡さない構えだったのだ。なぜそれほどまでに、鳥羽は崇徳を嫌ったのだろうか?

 じつは、崇徳は、白河法皇が鳥羽の妃、待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)と密通してできた不義の子。つまり、鳥羽にしてみれば、祖父が自分の妻を寝とって(はら)ませた子だったのだ。もちろん、鳥羽はそのことを知っていた。
「わしの遺骸(いがい)を崇徳にはみせるな」。そう言い残して、鳥羽が死去すると、崇徳はそれまでの不満を一気に晴らそうと、左大臣藤原頼長(よりなが)らを率いてクーデターを仕掛ける。これが「保元(ほうげん)の乱」である。しかし、戦力でまさっていたのは後白河軍のほうだった。

 敗れた崇徳は、髪を下ろし、僧形(そうぎょう)となって投降する。過去の“判例”からすれば、謀反(むほん)や内乱を起こした天皇は、出家して隠居すれば、刑を(まぬか)れてきたからだ。しかし、後白河天皇は、崇徳に讃岐への流刑(るけい)を言い渡す。これは崇徳にとっても想定外だった。

 讃岐に幽閉(ゆうへい)された崇徳は、無念の日々を過ごすが、やがて仏教に傾倒し、極楽往生(ごくらくおうじょう)を願うようになる。五部大乗経(ごぶだいじょうきょう)を一心に写経し、三年の歳月をかけて完成させると、崇徳はこれを朝廷に差し出すが、天皇家は、「呪詛(じゅそ)が込められているのではないか」と送り返してきた。

 これに激怒した崇徳は、自ら舌をかみ切り、その血で写経に「日本国の大魔縁(だいまえん)となり、皇をとって民とし、民を皇となさん」「この経を魔道に回向(えこう)す」と書き込み、海に投げ捨ててしまった。以来、髪も爪も伸ばしつづけ、「生きながら天狗(てんぐ)の姿」になったと恐れられ、長寛(ちょうかん)二年(一一六四)、悲運の生涯を閉じた。

 崇徳の遺骸は、白峰山の山頂で荼毘(だび)()された。その煙は、強い北風が吹いていたにもかかわらず、都の方角になびいていったといわれる。

 崇徳の死後、都では異変がつづく。まず、皇位についていた二条(にじょう)天皇が急死。さらには、鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀、延暦寺(えんりゃくじ)衆徒(しゅと)強訴(ごうそ)と事件がつづき、九条御所、皇太后御所、大極殿(だいごくでん)と朝廷にかかわりのある建物が次々と焼失する。後白河も病に倒れる。

 それらの(わざわい)は、崇徳の怨霊の仕業(しわざ)と恐れられ、後白河は白峰山頂に広大な寺院を建てて崇徳の霊を(なぐさ)める。しかし、その甲斐(かい)もなく、翌年、後白河は死去。

 以降、崇徳天皇は、天皇家を(のろ)う最強の怨霊として恐れられることになったのだ。



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