はた目から見れば、大学教授という職業は、じつにうらやましいもの。好きな研究をしていれば、地位と名誉がついてくる。最近は、テレビ・コメンテーターで顔を売る人もあって、そうなると書いた本は売れ、おいしい講演の依頼がやってくる。当然、そうなれば収入はサラリーマンとは比較にならないほど多いはず――。
しかし、そのいっぽうで、大学には、教授どころか助教授にもなれず、講師や助手のまま終わってしまう人が、ごろごろいる。
同じように学問を追究していても、教授になるか講師で終わるかでは、天国と地獄ほどの差があるといえる。
教授になれる人の共通点は、やや意地悪にいえば、「自分の直属の教授を心から尊敬する」という“素直な心”である。教授の業績、能力、人間性にいたるまで、あらゆる面を尊敬できる能力である。
いっぽう、「人間的には嫌いだ」とか、「うちの教授はボケてるよ」といった言葉が口から出るようだと、教授から嫌われ、そのうえ、やがて大学を追い出される結果になる。
学問の世界は、あれでなかなか、嫉妬ややっかみ、ひがみなどの感情が、大きく作用する世界なのだ。
ノーベル賞を受賞した科学者の多くが、日本以外で業績をあげているのは、こういう狭い人間関係の枠内におさまらなかった人だったからともいえる。
さらに、貧乏であることが大切だという。外車に乗って、女の子にモテモテといった講師連中は教授から嫌われる。
安アパートの一室で、本とゴミやカビなどに埋もれながら、生活のほとんどを研究に費やすといったダサい講師、助手ほど、教授に目をかけてもらうことができるのである。
ああ、イヤな世界!