Voice S 外国人投資家に支配されたサムスンの悲劇
三橋貴明
外国人投資家に支配されたサムスンの悲劇 目次
民主主義とグローバル化の矛盾
韓国国民は必ず損をする
ウォン安で輸出は増えるが
アベノミクスが与える打撃
民主主義とグローバル化の矛盾
祖国を意識しないグローバル投資家が、ある国から「所得」を可能なかぎり吸い上げるためには、どうしたらいいだろうか。じつは、それを学ぶための格好のロールモデル(規範)が、日本のお隣に位置する韓国なのだ。
そもそもグローバリズムとは、何なのだろうか。日本人はとくに定義もせずに「グローバリズム」という言葉を使っているように思える。グローバリズムとは、以下の三つの国境を越えた動きを「完全に自由化する」という考え方になる。

モノやサービスの輸出入

資本(おカネ)の移動

労働者(ヒト)の移動
要するに、経済の三要素であるモノ、カネ、ヒトの国境を越えた移動を自由化するというのが、グローバリズムなのである。とくに重要な「自由化」は、モノでもサービスでもヒトでもなく、おカネの移動だ。すなわち、資本移動の自由化である。ニクソン・ショック以降、資本移動が自由化されることにより、「企業の利益」と「国民の利益」が乖離するようになってしまった。
「国境を越えた資本移動の自由」を大々的に認めてしまうと、若年層失業率の高まりや格差拡大をもたらし、国民経済を脆弱にする。資本移動の自由とは、要するに、「企業はもっとも儲かる国に工場を移してしまえばいい」
という発想なのだ。
グローバルスタンダードや製品のモジュール化により、企業は世界のどの国で生産しても、品質をあまり変えずに生産することが可能になった。「どの国で生産しても同じ」である以上、当たり前の話として、経営者はコストがより安くなる地域に工場を建設しようとする。ここでいうコストとは、もちろん人件費のことである。
しかも、直接投資のみならず、証券投資の自由化も認められてしまっているため、各企業の株主が「国民」であるとは限らなくなっているわけだ。日本国民が株式をもつ日本企業であれば、ある程度は「日本国」を意識した経営をせざるをえない。ところが、「外国人が株式をもつ日本企業」の場合はどうなるか。オーナーが外国人である以上、たとえ経営者が日本人の日本企業であったとしても、「日本の国益を考えて行動してほしい」
といわれたところで、現実には無理である。
というわけで、直接投資、証券投資といった資本移動の自由化が実現されたグローバリズムの世界では、「国民経済」と「企業経営」のあいだに乖離が発生してしまう。