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プロが選んだ はじめてのミステリー映画 北川れい子ベストセレクション50
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エンタメ
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『プロが選んだ はじめてのミステリー映画 北川れい子ベストセレクション50』
[監修]北川れい子 [発行]近代映画社


読了目安時間:10分
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 あらゆる映画はミステリーに通じる。

 すべての映画にサスペンスがある。

 理由は簡単。よほどのことがない限り人々が映画を最後まで観るのは、ストーリーがどう展開し、主人公がどうなるか、それが映画の一般的な楽しみだからだ。この場合、どう展開するかという謎は立派にミステリーだし、主人公の先行きは、これまたサスペンスに近いものがある。

 ではあるけれども、それはそれ。「ミステリー&サスペンス映画」というジャンルで括られる、知的で人間を知り尽くした映画を観る喜びは、ゾクゾクするほどの快感がある。

 人間を知り尽くしているから意地が悪い。

 殺人、犯罪、悪意、嫉妬、復讐、野心、欲望、邪心、狂気もあれば命がけのゲームもあり、罪と罰のオンパレード。そうそう愛やSEXも。

 しかも優れた「ミステリー&サスペンス映画」には、他の映画では絶対に味わえないような、こちらの内なるSM度を刺激するカタルシスがあること。

 降参です、負けました、そうです、人間なんてそうなんです、というカタルシス。

 なにしろハラハラ、ドキドキ、ギョッときて、そのあとにひと捻りという憎らしい作品まである。

 むろん、どんな映画にもカタルシスはあるのだが、社会的なモラルや善悪にこだわらず、卓越したストーリーと技巧的演出で、人間のダークな部分や謎めいた行動を、時には隠し、時には暴いていく「ミステリー&サスペンス映画」の醍醐味は、言ってみれば人生の気付け薬に近いものがある。

 当然、その内容も、多岐に亘り、例えば、「恐怖の報酬」(52年。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)のように、主人公の置かれた状況自体がサスペンスという作品もあれば、「白いドレスの女」(81年。ローレンス・カスダン)のように、女が仕掛けたミステリアスな罠にはまって身動きが取れなくなるサスペンスもある。

 或いは「スリ」(60年。ロベール・ブレッソン)のように、スリがスリをする様子をドキュメンタリーのように冷静に描き、それが第一級のサスペンスになっている作品もある。


犯罪者側から、その犯罪の顛末を描いていくサスペンス



 ところで今回、私は、映画史的なことなどまったく何も考えず、ただ単純に、自分が見た範囲の中から、好きな順に50本選んだだけなのだが、50本のリストの内、かなりの数が犯罪者側から描いた作品が占めているのに、ちょっとビックリしてしまった。

 10位までのリストだけでも、「太陽がいっぱい」(60年。ルネ・クレマン)がそうだし、「死刑台のエレベーター」(57年。ルイ・マル)も、「コレクター」(65年。ウィリアム・ワイラー)も、「悪魔のような女」(54年。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)もそう。

 ミステリー・ノヴェルの世界では、殺人や犯罪事件の犯人が最初からわかっているミステリーを、倒叙ものと呼んでいるが、どうも私は、犯罪者側から、その犯罪の顛末を描いていくサスペンスが気になるタイプのようである。

 周到に準備を重ねても思いがけないアクシデントや手違いが生じ、それを息を詰めながら観ているスリルとサスペンス。完全犯罪成立と思わせた後の落し穴も、それはそれで、世の中、そんなもんよ、とカタルシスがある。

 むろん、主人公がどんな非人間的な犯罪を企んでも、主人公のキャラクターには必ずどこか共感を呼ぶディテールや個性があるという前提が不可欠ではあるのだが。

 ところで、「ミステリー&サスペンス映画」の王道は、やはり、事件に関わりのない人物がいつの間にか事件に巻き込まれ、巻き込まれた謎を追う過程で危険にさらされるというものだろうか。

 今回の50作品のリストで一番古いのは、サスペンスの神様、アルフレッド・ヒッチコックの「バルカン超特急」(38年)で、これはたまたま列車で乗り合わせた人物が列車の走行中に姿を消してしまうという動く密室サスペンス。ヒッチコック作品には巻き込まれサスペンスが数多くあるが、この類の作品は観客も何が何だか白紙の状態に置かれ、主人公と一緒にスリルやサスペンスを体験できるから、ラスト、何とか一件落着しての安堵感も格別なものがある。

 エマニエル・ウンガロの衣裳を着たそのスジの女グロリア(ジーナ・ローランズ)が、ギャングに惨殺された隣人一家の生き残り少年を連れて銃をぶっ放しながらニューヨーク中を逃げ回る「グロリア」(80年。ジョン・カサヴェテス)も、一種の巻き込まれサスペンスだが、これは女を主人公にしたハードボイルドなアクション・サスペンスとしてもすでに伝説的である。


「ミステリー&サスペンス映画」の定番ともいうべき、探偵物



 中世の北イタリアの人里離れた僧院内で起こった殺人事件の謎を、そこを訪れた修道士とその弟子が、コナン・ドイル原作の古典的探偵コンビ、ホームズとワトソンよろしく解明する「薔薇の名前」(86年。ジャン・ジャック・アノー)は、本格的な密室ミステリーとして異色の輝きを放つ傑作だ。

 実は私は読み物としての本格ミステリーは、トリックばかりが先行して人物像にイマイチ面白味がないという偏見を持っていて、読まず嫌いもいいところなのだが、イタリアの世界的な記号論学者であるウンベルト・エーコによる原作が日本で出版される前に映画が公開され、それで純粋にこの映画に夢中になったのだった。

 もともとパズル的要素の強い本格ミステリーは、小説として読むにはいいが、それを映画化する場合、あれがあゝなってという理論の映像化がどうしてもネックとなり、結局は台詞で説明することになる。

 ミステリーのご都合主義を謳った川柳に、「名探偵、みなを集めて、サテと言い」というのがあるが、本格ミステリーの古典や傑作が滅多に映画化されないのは、やはり不向きということがあるからかも。

 にも拘らず「薔薇の名前」は、奇跡的に成功したのだが、その一つは、探偵役コンビに扮したショーン・コネリーの大人の茶目っ気と、その弟子でクリスチャン・スレーターの聡明さにある。それと女っ気など皆無なのにどこか淫靡で官能的な僧院内の映像。迷宮風に作られた図書館の造型など、その美術セットからしてミステリアスな雰囲気がある。

 同じ探偵ものでもハードボイルド・ミステリーを映画化した「ロング・グッドバイ」(73年。ロバート・アルトマン)のフィリップ・マーロー探偵(エリオット・グールド)や、古典「マルタの鷹」(41年。ジョン・ヒューストン)のサム・スペード探偵(ハンフリー・ボガート)は、情報を自分で出向いて一つ一つ掻き集め、隠された真実を拾い出す。社会や現実との接点が重要なハードボイルド・ミステリーの探偵たちが、一様に自分のルールに固執するのも、そういったこだわりがプロの誇りになっているからだろう。
「チャイナタウン」(74年。ロマン・ポランスキー)や「シェイマス」(73年。バズ・キューリック)の探偵たちは、映画オリジナルの私立探偵だが、どんなにそのスジの圧力がかかっても食らいついていく根性はまさにハードボイルドそのもので、必ず美女が関わってくるのも嬉しい。
「ハメット」(82年。ヴィム・ヴェンダース)は「マルタの鷹」の原作者ダシール・ハメットを主人公にした異色のミステリー。旧式のタイプライター他の小道具や1930年代の雰囲気に独特のものがあり、何でもないシーンがゾクゾクするほど格好が良かった。

 そういえばずっと以前、ミステリー評論家の方が、純文学とミステリーの違いは、アマチュア人間とプロフェッショナルな人間の違いだ、と書いているのを読んだことがある。アマチュア人間は手さぐりをするように怖々と人生や他者と格闘するのに対し、プロフェッショナルな人間は、人間や社会に一切幻想など持たず、ありのまゝを受け入れて行動するというもの。

 ま、現代は純文学とエンターテイメント・ノヴェルの境界がほとんど無くなり、素人さんと玄人さんの区別がつかなくなったが、ことハードボイルドの探偵に関しては、プロフェッショナルな人間、つまりガタガタ言わずに黙って行動する、そして決して自分を売り渡さないプロ中のプロといえると思う。

 それでも時々、知り得た情報でゆすりたかりをする悪徳探偵を脇役で見かけたりするが、どの世界にも悪人はいる、それもまたプロと思えばどうってこともない。

 タイトルに探偵とつく「探偵〈スルース〉」(72年。ジョゼフ・L・マンキーウィッツ)は、ミステリー・マニアが泣いて喜びそうな小道具いっぱいの意地悪ゲームで、探偵小説家(ローレンス・オリヴィエ)と、その妻と浮気をしている美容師(マイケル・ケイン)のどちらも猛烈にイヤな奴、そのイヤな奴同士の小説家宅を舞台にした攻防が実にスリリング。

 ミステリーの女王、アガサ・クリスティ原作の“灰色の脳細胞”と呼ばれる名探偵エルキュール・ポワロが、雪に閉ざされたオリエント急行内の密室殺人の謎を解く「オリエント急行殺人事件」(74年。シドニー・ルメット)は、事件の真相もさることながら、オールスター・キャストがまず豪華でスリリング。


傑作として折り紙つきの作品



 おっと、せっかくベスト50作品の解説を、最高、最強の執筆者の方がお書き下さっているのに、何も私がここで中途半端な能書きを述べる必要はないのだった。

 ところでこの文の冒頭に、あらゆる映画に「ミステリー&サスペンス」があると書いたが、作者たちが映像表現を駆使し、かつ様々な情報操作で観客をじらせながら、時にはどんなシリアスな映画にも勝るとも劣らない、人間の真実や人間の複雑さなどを描き出す「ミステリー&サスペンス映画」は、軸となるストーリーはもちろんのことだが、最高にものを言うのは演出技術である。

 ここに選出した50作品は、すでに「ミステリー&サスペンス映画」の傑作として折り紙つきの作品が大半を占めているのだが、フィルムに焼き付けられた光と影が生み出す謎や恐怖、不安や疑惑は、映像芸術、映像表現がいかにこのジャンルの映画と相性がいいかの証明のような気もしないではない。いや、むろん、秀れた演出技術がそう思わせるのであって、稚拙なミステリーもゴマンとあるのだが。

 それにしても歴代の傑作、名作リストで必ず上位にランクされるキャロル・リード作品「第三の男」(49年)の、全方位的な偉大さには畏れ入る。巻き込まれミステリーであり、クライム・サスペンスであり、社会派映画であり、ラヴ・ストーリーであり、しかも友情も裏切りも悪と正義もあり、そしてあの時代がある。さらにさらに、あの音楽にあの場面、この場面。

 ともあれ、秀れた「ミステリー&サスペンス映画」はジャンルを超えて秀れているということ。

 ここの50作品が何よりそれを証明する。

 最後に、この本の一番の読者は絶対に私だと断言できる。河原畑寧氏、渡辺祥子氏、北島明弘氏、滝本誠氏の作品解説を得た喜びは、タイトルを借りていえば、まさに“狼は天使の匂い”ふう。もしくは“太陽がいっぱい”? 深謝。


 2007年11

    北川れい子

〈註〉本文中のスター、スタッフの表記は執筆者の原稿のままです。
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