監督……キャロル・リード
脚本・原作……グレアム・グリーン
音楽……アントン・カラス
出演……ジョセフ・コットン
オーソン・ウェルズ
アリダ・ヴァリ
トレヴァー・ハワード
ハプスブルク帝国の首都で芸術文化の中心地だったウィーンは、第二次大戦で空襲にあい、戦後は米英露仏四か国の共同管理下に置かれた。政治的境界線が複雑になればなるほど、境界を利用した犯罪組織がはびこる。これは経済の原則だ。栄光あるウィーンの記憶を映画にと思い立ったのは、ハンガリー出身でロンドン・フィルムを率いて英国映画界の重鎮だったサー・アレクサンダー・コルダ。その依頼を受けた作家グレアム・グリーンは1948年4月、二週間ウィーンに滞在して映画化の原本「第三の男」を書き上げた。監督は『邪魔者は殺せ』『落ちた偶像』で注目を浴びたキャロル・リードに決まる。
戦後の英国は経済的苦境にあった。ここでもアメリカ映画は我が世の春を謳っていたが、好都合にもこのころ「アメリカ映画が得た入場料収入は全額国元へ送金してはいけない、一部は残して英国で使いなさい」という新協定が締結された。これを利用しよう。コルダは『風と共に去りぬ』のデヴィッド・O・セルズニックに共同製作を持ちかけた。セルズニックは、ジョセフ・コットンとアリダ・ヴァリ、二人の契約スターを使うことを条件に合意した。英国側からは、コルダの信任厚いオーソン・ウェルズと、売り出し中のトレヴァー・ハワードが出演することになり、撮影がスタートする。
ウィーンでのロケは、焼け跡と由緒深い観光名所に加えて、ドナウ河に注ぐ下水の暗渠が重要な候補地となった。撮影隊は、日中担当と夜間担当に分けられ、ロケは昼夜休み無しで敢行された。映画の内容は、アメリカから一稼ぎのつもりでウィーンに来た小説家ホリーと、彼を招いた旧友ハリーの友情物語であると共に、東欧チェコスロヴァキアから逃げてきた難民で舞台女優のアンナをめぐる二人の三角関係のロマンスでもある。これに、戦後の混乱したウィーンの地下で暗躍する多国籍犯罪組織が、密接に絡んでくる。
夜間撮影のシーンが多いが、光と影の微妙な配合が、登場人物の心の動きと同調、最高の映像美がスクリーンに現出する。特に印象に残るのが、オーソン・ウェルズのハリー・ライムが、初めて顔を見せる戸口のシーン。壁から引っ込んだ暗い戸口に、突然一筋の光が降って来て、はにかみを抑えて、開き直ったような不敵な面構えが、ほの白く浮かぶ。震えて重なるツィターの音楽。何度見ても溜め息が出る名シーンである。
アントン・カラスの演奏する民族楽器ツィターは、この映画の発見の一つだ。タイトルバックからしてツィターの震える絃で、〈サードマン・シーム〉〈カフェ・モーツァルト・ワルツ〉親しみ易い鄙びたリズムが、美しいメロディーを奏でる。ツィターにこだわったのは監督で、アントン・カラスは、ロンドンの監督の家に缶詰にされ、フィルム編集機相手に三カ月間、生まれて初めての映画音楽作りにいそしんだ。 (河原畑)