お小遣いをもらって自分で払うようになるまで、当然のことながら、映画料金は親もちだった。この親が、映画を“大人の映画”、“子どもの映画”と分け隔てをしない親だったので、わたしと妹は“親が観たいと思う映画”に一緒に連れていってもらっていた。
父親は忙しく、ほとんど家にいなかったので、映画を観るといえば女3人。ちなみに、なぜかわたしは両親のうち、父親が先に死ぬと思っていたので(ごめんなさい)、年をとったら、また女3人で映画や温泉旅行にでも行けるものと思っていた。
われわれ女3人は、同じ映画を、家から一番近い渋谷で上映していても、わざわざ銀座か日比谷まで観に出かけて、終わってから食事をして帰ってくる、などということをしていた。
わざわざ、といっても、わたしが生まれたとき、両親は皇居の近く、今の国立劇場のすぐそばに住んでいたので、どちらかといえば銀座や日比谷のほうが馴染みが深く、通い慣れていた町だったのかもしれない。わたしの小さいときには、銀座松坂屋の屋上が遊び場で、屋上の飛行機の遊具に乗ると、すぐそばに海が見えた。いったい、どれだけ昔の話だ。
さて、懐かしい映画館でいえば、日比谷の有楽座、日比谷劇場、今でも名前の残っているスカラ座、みゆき座。銀座なら丸の内ピカデリー。京橋のテアトル東京。どれも大きくて立派な映画館だった。今の映画館のようにこじんまりと小奇麗なのではなく、どーんっとスクリーンが大きくて、天井がうんっと高くて、座席数がいっぱいあって、ただし座り心地のいい座席なんてほとんどなくて、それまでそこに座ってきた人たちのお尻の形が残っているような座席ばっかりで、でも、うわあ、映画を観に来たんだなあ、とわくわくするような映画館がたくさんあった。