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アメリカ映画界の光と影 その時、ハリウッド・スターに何が起こったのか?(下)
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雑学
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1981年 アカデミー賞授与式を延期させたレーガン大統領狙撃事件

『アメリカ映画界の光と影 その時、ハリウッド・スターに何が起こったのか?(下)』
[著]筈見有弘 [著] 渡辺祥子 [発行]近代映画社


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ジョディー・フォスターの熱狂的ファンが大統領を狙撃

 1981年の3月30日は、第53回アカデミー賞授与式が行われるはずだった。ところが、この日、ワシントンにいたロナルド・レーガン大統領がジョン・ヒンクリー・ジュニアという25歳の青年に狙撃される事件が起きたため、授賞式は翌31日に延期された。

 狙撃されたのがほかならぬハリウッドが生んだ(何しろそこそこ売れていた俳優だったんですからね)初の大統領で、式には彼のメッセージが映し出されることになっていたのだから延期は当然のことだったのかもしれないが、式の出席者や関係者はいずれも分刻みで仕事をしている人ばかり、翌日の授賞式に候補者全員やプレゼンターたちが何事もなかったかのように顔を揃えていたのには驚かされた。よくみんな時間がとれたよね……とビックリ。この出来事から、私たちはそれだけアカデミー賞の持つ力は大きい、ということと、スターたちにとっては特別のセレモニーであることをあらためて教えられたのだった。

 狙撃犯ジョン・ヒンクリー・ジュニアの名はその後すっかり有名になってしまったが、彼は、マーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」(76年)を見て以来ジョディー・フォスターの大ファンで、彼女のためにこの事件を引き起こしたなどと、ジョディーにとっては迷惑な発言をしている。

 それにしても、あのTV中継を含む大がかりなセレモニーを、何事もなく1日延期してしまったというのは凄いこと。中には一人くらい、仕事の都合で出席不可能になった人がいるのではないか、と調べてみたら、どうしてもダメだったのがダイアナ・ロスとともに助演男優賞のプレゼンターをつとめる予定だったニール・ダイアモンド。彼の代わりはドナルド・サザーランドがつとめていた。ダメだったのが俳優ではなく(主演映画もあるが)ミュージシャンだった、というのがなんとなくおかしい。

 このときアカデミー最優秀作品賞は、ロバート・レッドフォード自身も監督賞を受賞した「普通の人々」。前年度の受賞作が「クレイマー、クレイマー」だったことを考えると、1980年代のはじめは、家族の在り方や、家族関係に社会の関心が集まっていたときだった、と言えるかもしれない。そうそう、ラッキーなレッドフォードは、授賞式の日から半年以上が過ぎた11月、二人の少年に自宅へ強盗に入られる、という事件に遭遇している。

ウィリアム・ホールデンとナタリー・ウッドの怪死事件

 そんなことがあった1981年には、ハリウッドの大スターの謎めいた死が2件続いて起きて、アメリカだけでなく日本の新聞の社会面も賑わせた。

 まず53年度アカデミー主演男優賞を受賞した「第十七捕虜収容所」や、いまではメロドラマの原点になった「慕情」(55年)、オードリー・ヘプバーンと共演の「麗しのサブリナ」(54年)などで日本でも絶大な人気があり、晩年は「ワイルドバンチ」(69年)などが素晴らしかったウィリアム・ホールデンが、死後数日が過ぎてから遺体となって発見された、という記事が11月の新聞に載った。63歳の死だった。孤独を深酒で紛らわせていたという彼は、年とともに人嫌いになり、もともと弱かった心臓の発作で亡くなったといわれている。

 1940年代から50年代に二枚目スターとして大きな人気を誇ったホールデンは、ハリウッド屈指の億万長者で事業家として知られ、なかでも彼が共同経営者として関わったケニアのサファリ・パークの規模の大きさは有名だった。だが中年以降は女性問題も多く、人気モデルから女優になったキャプシーヌとの関係が原因で、売れない時代をともにした女優出身の夫人ブレンダ・マーシャルと離婚。女優ステファニー・パワーズが最後の愛人だったといわれているが、その死は誰にも看取られることのない孤独なものだった。

 ウィリアム・ホールデンの記事が新聞に載った数日後、こちらも日本の新聞に大きな記事が出て驚かされたのがナタリー・ウッドの突然の水死事件だった。

 子役から娘役に無事成長、「草原の輝き」「ウェスト・サイド物語」(ともに61年)など、多くの話題作に出演してハリウッドを代表する女優だったナタリーは、遺作となる「ブレインストーム」の撮影中、乗っていたヨットから転落して1129日に43年の生涯を閉じている。撮影中といってもカメラの前にいるときではなかった。1日の撮影が終わってオフになり、自分のヨットに帰ってから何かが起きて水に落ち、亡くなったのだ。深夜、夫のロバート・ワグナーと言い争う声を聞いた、と言う人もいれば、ナタリーと共演のクリストファー・ウォーケンの仲が怪しくそれが原因かも、なんて言う人もいたようだが、結局は不慮の事故ということに落ち着いた。

 この二人の大物ハリウッド・スターの同じ11月の死には何の関連もないはずだが、なんとウィリアム・ホールデンの最後の愛人ステファニー・パワーズと、ナタリーの夫ロバートは、TVの人気ドラマ・シリーズ『探偵ハート&ハート』(日本でも7881年に放映)で夫婦役を演じている仲、偶然の一致とはいえ不思議なことがあるものだ、とこれがまたゴシップのタネになった。

何組もカップルが誕生するが長続きさせるのは難しい…

 もう一人、この年に亡くなった人で記憶に留めておきたいのが7月に亡くなったウィリアム・ワイラー監督だ。日本では「ローマの休日」(53年)が圧倒的に好評だが、人間を冷徹な眼差しで見つめ、ディテールを大切にした演出によって生み出された彼の作品は、36年の「この三人」から、ベティー・デーヴィスを主演に起用した「黒蘭の女」(38年)、「月光の女」(40年)、「偽りの花園」(41年)の3作、いずれもアカデミー監督賞を受賞している「ミニヴァー夫人」(42年)、「我等の生涯の最良の年」(46年)、「ベン・ハー」(59年)などなど、そしていまもなお多くのファンがいる「コレクター」(65年)……と、どれをとっても名作ばかり。ハリウッドを代表する名匠だった彼は、1981年7月、ロンドンで開かれた自作の回顧上映から帰国した翌日、心臓発作のため79歳で亡くなった。

 ほかに、「007/危機一発(ロシアより愛をこめて)」でショーン・コネリーのジェームズ・ボンドを靴の先に仕込んだナイフで襲った殺し屋役が有名なロッテ・レーニャ、大物衣装デザイナー、イーディス・ヘッドなどもこの年に亡くなった人たちだ。

 さて、陰気な死のエピソードの口直しに結婚した人たちのおめでたい話を……。まず最初は、1月3日にTVドラマ・シリーズ『チャーリーズ・エンジェル』のクリス役で人気の出たシェリル・ラッドがソング・ライターのブライアン・ラッセルと再婚。4月27日には元“ザ・ビートルズ”の一員、リンゴ・スターが「007/私を愛したスパイ」のバーバラ・バックと。ご存じウッディ・アレンはミア・ファローと。ジェーン・シーモアは、この年TVミニ・シリーズになった『エデンの東』のキャンペーンにアツアツで来日したマネジャーのデーヴィッド・フリンと、それぞれ結婚。でも、これらの結婚のうちいまでも続いているのは? シーモアはとっくに別れてしまったし、ミアとウッディがとんだ大騒動の果てに別れてしまったことも世界中が知っている。やはりハリウッド映画業界で結婚を長持ちさせるのはどんな人にも難しい?

 一日日延べのアカデミー賞授賞式は何事もなく無事に終わったが、ハリウッドではメジャー会社の再編成が噂される中、MGM社がユナイテッド・アーチスツ社の全株式を買い占めていた……。
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