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100万人の映画教室(上) 私の愛する映画たち
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エンタメ
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昔々の活動写真物語

『100万人の映画教室(上) 私の愛する映画たち』
[著]淀川長治 [発行]近代映画社


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「シネ・ブラボー!」一時間四十八分を見たとたん昔が身にしみた。

 私が生れたのが明治四十二年(一九〇九)。このとき活動写真に初めて尾上松之助(目玉の松チャン)が登場した。
「シネ・ブラボー!」を見ているとかの有名な「大列車強盗」(一九〇三)全巻が鮮やかに登場したのも驚きだったが、パール・ホワイトとルス・ローランドも登場した。

 ルス・ローランドはチラリかんたん。ところがパール・ホワイトは「電光石火の侵入者」のさわりが鮮やかにハッキリと出たのでこれもビックリためいきだった。

 私の小学校時代のアダ名がパール・ホワイトまたはマージャリィ。

 これは私がパール・ホワイト狂だったからだ。マージャリィ。これはパールの連続大活劇「鉄の爪」の役の名であった。

 どうしてパール・ホワイトのアダ名がついたか。私は学校でパールのまねばかりしていたからである。

 私は両手をロープでしばってもらい、『アレーッ、アレーッ』と叫んでパールがいまや死の運命の迫るまねがあんまり上手だったからである。

 のちにこのアダ名を大変恥ずかしいと思っていたら実はフランスの私の最も好きな監督のジャン・ルノワールも若き少年時代のアダ名がパール・ホワイトだった。この監督は私より十五歳も年上だから考えると私が八歳のころパールだったのにこの監督は二十歳をすぎたころにパールだったのか。

 そのころの大正の初め、一九一八年ごろは連続大活劇が映画館の一番の呼びものだった。

 毎週毎週これが六巻ぐらい連続のスリルで一か月も二か月も続く。

 そのころは映画だとはまだ言われていない。活動写真。それも活動。カツドウ。関西のそれも下町では『カッドへ行こか』となる。

   ○

 パールの「電光石火の侵入者」は私のタマシイを奪った。電光雷鳴。その光りの中に浮かぶ怪しの家。ここに運命があった。

 パールは女賊。相手は中国人のウーファン。これをワーナー・オーランドが扮した。ワーナー・オーランドも私のごひいきだった。

 パールが実に美しかった。そのパールの連続活劇はパテエというアメリカの会社から発売されていた。

 ところがこのパテエにルス・ローランドというこれも美人の連続活劇スタアがいた。

 パールは大都会の運命劇的アクション・サスペンス、ルスは野外の大自然背景のアクション。それでルス・ローランドものには「ロッキーのルス」だとか「密林の女王」みたいな名の連続が多かった。

 パールはパテエのトップ・スタア。ルスはパテエのこれもトップ・スタア。

 ところが二人の格どころは、パールが上でルスはちょっとその下。このほかモリー・キングなどとパテエは美人揃いであった。

 私はパールも好きだったがルスも好き。この二人のブロマイドを枕もとに置いて眠った。
「シネ・ブラボー!」はそんなことばかりを思い出させた。

 そのころの活動写真は、入場料が高いからやめておこう。そんな人はまあいなかったくらい誰も彼も活動(写真)につめかけた。

 町の銭湯は連続活劇の話でもちきりだった。それに下町の家は家じゅうみんなで活動を見に行った。それで映画館では入場券をバスの切符みたいに十枚つづり二十枚つづりで売ったりもした。みんなはいまのバスや国電に乗るくらいの気持ちで活動につめかけた。どのくらいの値段だったか、いまのタバコのハイライト、今日で申せば今日のそんなリツではなかったかと思う。ああ幸福な時代。

   ○
「シネ・ブラボー!」の面白いのは必ずしも映画史上の問題作にこだわっていないことである。

 いうならば雑誌スタイル。どうして「イントレランス」「国民の創生」「愚なる妻」の一部分を加えないのか。などというヤボッたいことは言わぬが花だ。

 ハリー・ホーデニィの活劇の一部分が登場したことの方が実はそれよりももっと面白かったからである。

 パールやルスに加えてエディ・ポロー、フランシス・フォード、グレース・キューナード、カスリン・オコンナー、マリー・ウォルキャンプをなぜ出さなかったのであろう。

 それなのに突如とハリー・ホーデニィの活劇が出てきたのだ。

 その「シネ・ブラボー!」の解説を覗くとハリー・フーディニとなっている。その呼び方が本当なのであろうが私たちはホーデニィと呼んだ。手錠抜きの名人でのちにトニー・カーチィスがこの男の伝記映画に主演した。またも最近この男の伝記映画化がどこかで企画。よほど私生活も面白い男にちがいない。彼は幼年のバスター・キートンに“バスター(えらいぞ、でかした!)”と叫んだ。それがキートンの芸名になったことはとくと御存知であろう。

 この男の連続活劇には「人間タンク」というのがある。これは毎週私はつめかけて見た。ロボットをあやつって敵をやっつけるスリルで大正時代にしてはまことに進歩的だった。しかしパール・ホワイトやルス・ローランドにはとても及ばぬ二流連続活劇。

   ○
「シネ・ブラボー!」はダグラス・フェアバンクスを、しかも若き日の彼の「ドーグラスの蛮勇」を登場させたことでこれにも花束を贈りたい。

 ダグラス・フェアバンクスをあのころはドーグラス・フェアバンクスと呼んだ。

 クラーク・ゲイブルの祖先みたいなアメリカの快男子であった。

 明るくて女性を愛し常にアメリカの精神をあふらせて、それにこの男優の映画の脚本係りがアニタ・ルースといってとてもすぐれた脚本家だったので彼はとくをした。
「ドーグラスの蛮勇」は、ニューヨークの富豪の息子。これがいい年をしてウエスタン狂。自室に拳銃三〇チョウ。馬のくらからロープからはては二階の自室広間にインディアンのテントまで張って、何もかもが西部開拓者気どり。父は息子の名を呼ぶのに『おい、インディアン!』。

 その彼が父の仕事の用件でアリゾナへ。彼はとび上って喜んだ。さてアリゾナでは鉄道会社の社長サマの御子息きたるというので大歓迎。さてそこでいろいろとアリゾナのアクション事件もありその町のやさしい娘にも愛されたが、彼は再びニューヨークへ。そして自分がアリゾナでやってきたあの拳銃騒ぎそれをつくづく蛮勇(考えなしの勇気)と悟ったという、ちょいとウエスタンを皮肉ってしかもウエスタンを楽しませたアニタ・ルースの脚本の大人っぽさ。

   ○
「シネ・ブラボー!」はドタバタ喜劇のロスコー・アーバックル(デブ君)や監督のマック・セネットまでが一役買ったドタバタのコマーシャルみたいな一篇の数分も見せたがアル・セント・ジョンをえんえんと見せたのが気に入った。

 アル・セント・ジョンはドタバタ喜劇の主役もこのシーンのごとく演じはしたが、その殆どはデブ君の助演役。いつもデブ君の恋人を片思いしてデブと彼女の仲に割り込む。

 このアル・セント・ジョンが日本でも大変な(と申したいくらいに)人気者。当時の関西の説明者はこれをセメントと呼んだ。なにか役名があったのであろうがロスコー・アーバックルはデブ、そしてアルが出てくるとセメントと呼んだ。アル・セント・ジョンのセントだけを取ってそれをセメントとしたのであろう。私はこのセメントが出てくるとワクワクした。面白かったからである。

 それと併せこの「シネ・ブラボー!」はチャップリンやロイドやキートンよりもハリイ・ラングドンやモンティ・バンクスをもっとスペース大きく取り上げた。これがまた雑談的で面白い。

 ハリイ・ラングドンはキートンとチャップリンとスタン・ローレルの三人の個性をカクテルしてベビイ・フェイスのペイソス万年坊やスタイルで登場した。

 そしてこのハリイ・ラングドンを私はまだ一度も見なかった(ということはこれが日本初公開)その戦場ドタバタ喜劇が登場する。

 モンティ・バンクスは実は一流じゃない。二流の上の喜劇ドタバタ・スタア。ところがドタバタというものはときに一流より二流三流に無責任な面白さがあるものである。

 しかし今回のモンティは彼の最高傑作の「無理矢理ロッキー破り」。さすがドギモ抜く面白さ、キャメラの位置が呑みこめぬその撮影の見事さ。列車大活劇。このスリル。

 モンティはいつも列車とハシゴが登場する。それにこの俳優はイタリア人でづんぐりのどっかエロッぽい。その列車騒動ではいつも寝台が登場し、その上段下段の上段でモンティがズボンを脱いでパジャマに着替えるところでモンティ・エロティックを演じてみせる。半分ズボンを脱いだものの列車のゆれで全部脱げない。サカサになったり横にころんだり、はてはズボンをスッポリ取ったと思うとドスンと通路に落ちて、パンツ姿の大あわて。これがモンティのとくい芸。

   ○

 ところで日本にも活動写真が輸入公開されたのが明治二十九年(一八九六)。

 神戸の神港倶楽部。いまは亡き私の父は何でも新しいモノが好き。それでこれを見た。

 その話を私はよく聞いた。活動写真とはまだ言わぬころ。写真が動く。これが問題話題センセイション。

 いまから七十八年前は、写真屋で自分の写真をとることだけでも大事件。アンタ、写真とったのですか。ホウ、アンタそっくり。当り前だが、まだかくのごとく「写真」さえ珍しく、写真屋のレンズの前であんまりかしこまりキンチョウのはて目がより目になってしまってそのままうつってこの目は妙ですなあ、そんな時代。その「写真」が「動く」。大変だったらしい。

 神港倶楽部とはいまの文化ホールみたいなところ。まあ八十人くらい入ればいっぱいの畳敷き、みんなザブトンの上にきちんとかしこまった。いまより科学的奇術を見るコーフン。

 まえには大きな白い布。やがて電気が消えてチラチラとボンヤリと何だかその布に映写されてきた。「見える」「見える」と大喜び。やがてハッキリしてきた。

 公園風景。ハトがいっぱい。そのハトがいっせいにパッと飛び立った。そのときワーッと客は叫んで拍手大喝采。続いて外国の市街風景。向うから何やら動いてこちらへ。

 よく見ると「水まき馬車」だ。だんだんこちらへ近づいてきた。いよいよ近づいてきた。かくて目のまえいっぱいにその馬車の馬。その馬がサン水馬車を曳いて画面正面を横切ろうとしたその瞬間、その客の殆どが思わず立ち上って『びちゃびちゃ……』に濡れると思ったのだそうだ。これは父の生前、じっくりと面白かったと父のしゃべるそのときの客の実景。本当の話。

 いまから七十八年前。そんな時代。こんな人たちに今日の大画面の色彩のそして音響の、それを見せたなら全員失神か。さらにいまや堂々のオッパイまる出しを見せたら全員ショック死か。映画とはまさに『科学芸術』。そこが小説や舞台とちがうところ。日に日に月に月に年に年に進んでゆくこの今日の芸術。映画が好きで仕方がない私の気持ちもおわかりか。
(スクリーン1975年2月号)
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