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(2021/11/26 追記)

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100万人の映画教室(上) 私の愛する映画たち
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エンタメ
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映画こそ私の学校

『100万人の映画教室(上) 私の愛する映画たち』
[著]淀川長治 [発行]近代映画社


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映画の日曜学校で〈人間学〉を知る

 映画が人間を教育してくれることの、はかりしれぬ豊かさを感じる私は、映画こそ本物の人間教育だと思う。
「家族の肖像」を見てもここに人間を見る。「イノセント」を見てもまたここに人間を見る。すぐれた映画は人間を掴んで私たちの目前に人間を愛をメスで解剖して見せる。

 学業はおろそかに出来ない。大学までの〈教育〉が頭脳をみがく。このみがかれた頭脳に〈人間学〉が加わると本物の常識が持てる。

 映画はその〈人間学〉である。フェリーニの「アマルコルド」に感激できる人間になりたいものである。ところが世にいう英才と呼ぶ学問だけのすぐれた青年には「サテリコン」はまったくくだらぬ映画と思いかねぬ。いや、くだらぬのではなく意味がないとさえ思う。この学問の秀才には「サテリコン」の美術はくみとれなかったのであった。

 美術を学ぶ人は、楽しめる人は、幸せである。感じること、感激出来ることの、その大切さ、楽しさを、深く知るからである。

 私たちは感じる人、感激出来る人に、なりたいものである。その人たちは、まちがいもなくあらゆる人にやさしいにちがいない。

 ところが机上の教科書だけの世界で、ほかには横も見向かぬまま秀才という名のもとに一路出世の道を進んだ人には、ときに冷たい非人間が染まりかねない。
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