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植草甚一WORKS1映画と原作について考えてみよう
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エンタメ
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新しい探偵小説の型と映画への影響

『植草甚一WORKS1映画と原作について考えてみよう』
[著]植草甚一 [発行]近代映画社


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探偵小説とスリラー映画の交流

 探偵小説と映画の関係は、探偵小説が技巧的にすすめば、それだけ映画のほうもまた、新しいテクニックを使いながら進歩してきた。そして探偵小説は、戦争中に相当の発達をとげ、現在では通俗を脱し知的な読物にまでなっているが、映画も戦後封切られたものにはいろいろなタイプがあり「疑惑の影」「らせん階段」(サスペンス型)を筆頭に、「断崖」(サイコロジカル型)「青の恐怖」(オーソドックス型)「湖中の女」(エクスペリメンタル型)などがあり、あとの二つには(ユーモア型)(ハード・ボイルド型)の要素もふくまれている。

 かりに、こうした分類のしかたで最近の探偵小説から目ぼしいところを拾ってみると、
(一)のサスペンス型には、マーガレット・ミラー「鉄の門」、E・S・ホールディング「無罪のダフ夫人」、エリザベス・ダリー「間違った道を通って」、ドロシー・ヒューズ「恐ろしい旅行」などがあり、主として女流作家がこの方面で活躍している。
(二)のサイコロジカル型には、シムノン「眼鏡をかけた白人」、ハモンド・イネス「雪の上の炎」、ブルース・ハミルトン「首つり判事」などがあり、
(三)のオーソドックス型には、エラリー・クイーン「十日間の不思議」、レックス・スタウト「語らぬ講演者」、アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」、ナイオ・マーシュ「最後のカーテン」など本格派の作家のものがあり、
(四)のエクスペリメンタル型には、レイモンド・ポストゲート「誰かが戸口にいる」、ニコラス・ブレイク「旅人の首」、エドマンド・クリスピンの「消えた玩具屋」などがあり、
(五)のユーモア型には、E・S・ガードナー「放浪処女事件」、ジャック・アイアム「威張る伯爵夫人」、リチャード・パウエル「ピストルを捨てろ」などがあり、
(六)のハード・ボイルド型には、レイモンド・チャンドラー「かわいい女」、コーネル・ウールリッチ「夜は千の眼を持つ」、ヘンリー・ケイン「死を間近にして」などのほか、あとで記すジェームズ・ケインやジェラルド・バトラーの作品がある。

 これを最近のスリラー映画にあてはめてみると、
(一)には、ヒッチコック「ロープ」、テッド・テツラフ「窓」があり近く入荷する。
(二)には、ローレンス・ハンチントン「霧の夜の戦慄」、フリッツ・ラング「扉の陰の秘密」などを入れてもいいようだし、
(三)には、アンリ・ジョルジュ・クルウゾオ「犯罪河岸」、ヘンリー・ハサウェイ「出獄」などがあり、
(四)には、ジュールズ・ダッシン「裸の街」、エリア・カザン「影なき殺人」をあげることが出来、近くアナトール・リトヴァク「私は殺される」が入荷する。
(五)には、アンリ・ジョルジュ・クルウゾオ「犯人は二十一番に住む」、W・S・ヴァン・ダイク「影なき男の影」、あるいはルネ・クレール「そして誰もいなくなった」などがあり、
(六)には、ロバート・シオドマク「殺人者」、フレッド・ジンネマン「暴力行為」などのほか、これから簡単なストーリーで示すところの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」、「俺の手の血をなめろ」(註・1948年作品だが、日本では1958年に「暴れ者」の題名で公開された)がある。

 以上は最近の探偵小説の種類と、スリラー映画を、便宜上、六つの型に分け、重複しないようにしていくつかの例をあげてみたのであるが、探偵小説には、これら六つの型(あるいはそれ以上)が複合して現われていることはもちろん、例にとった映画について考えてみても、同じようにいろいろな要素から成り立っていることは一見して明らかである。

ケインの傑作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」

 アメリカでこの小説が出版されたのは一九三四年であったが、その反響は驚くべきものがあった。この小説はヨーロッパの各国語にすぐ翻訳され、ハード・ボイルド小説がいかなるものであるか、いかに強烈なスタイルを持っているかを読者に知らしめた。日本では飯島正氏がいち早く紹介の労をとられたが、当時の日本の読者には、まだよくは受け入れられなかった。はやりの言葉にしたがえば“肉体文学”の元祖である。

 ケインの小説で、このほか「倍額保険」「ミルドレッド・ピアース」が戦後に映画化されたが、まだ映画化の運びにいたらない作品には「あらゆる恥辱を越えて」「バタフライ」「蛾」などの名作がある。MGM社では「郵便配達〜」がベストセラーになると、すぐさま映画化権を手に入れたが、製作法規に内容が触れ、ついに十年間の間、製作を敢行することが出来なかった。しかしヨーロッパの映画界では、このストーリーにすぐ目をつけ、まず最初、フランスの監督ピエール・シュナルが一九三九年に映画化、ついでイタリアの監督ルキノ・ヴィスコンティが一九四二年に映画化した。アメリカでは、一九四六年にいたってやっと映画化され、ラナ・ターナー、ジョン・ガーフィールド、ヒューム・クローニン、オードリー・トッターという配役陣、ニーヴン・ブッシュの脚色、テイ・ガーネットの監督で異色ある作品となった。

   ×   ×   ×

 俺はルンペンだ。カリフォルニアにやってきて最初に厄介になったのが、“双懈タヴァン”という小さな料理店だった。主人はギリシャ生れの移住民ニック・パパダキスといった。ところが、こいつの女房というのが、いける口でメキシコ生れの多血質、名前はコラといったが、初めて見たときから俺はたまらなくなり、すきっ腹なのにポテト・ランチが喉に通らないほどだった。それで、ズルズルと引きつけられるうち、亭主の隙を見ては抱き合うようになった。

 ある日のこと、コラは俺に抱かれて接吻されながら、――噛んでよ、さあ、噛んで、と言った。

 俺はコラの唇をギュッと噛んだ。すると血が出て、俺の喉をうるおした。そのまま抱きかかえ、二階の寝室へ寝にいくと、その血はコラの白い首すじを流れて、ますます俺を刺戟した。

 こうしたことが度重なるうちに、俺はコラとしめしあわせ、亭主のパパダキスを殺してやろうと考えた。

 ある夜、十時に店を閉めた。パパダキスは風呂に入った。俺は表に出て、自動車の手入れをしているように見せかけて見張りをし、誰か来たらラッパを鳴らすことにして、コラに亭主を殺させることにした。その方法は革袋にボール・ベヤリングを入れ、入浴中の男を後ろからノシて、気を失ったところを、頭を水のなかに突っ込んで息の根を止めてしまうのである。初めは俺がやるつもりだったが、俺が風呂へ入っていくと疑われるし、コラだったら相手も油断するに違いないから、それで俺は見張り役を引き受けたわけである。

 で、見張りをしていると、何だか黒い影がスッと通りすぎるのに気づいた。俺はビクッとしたが、一匹の仔猫にすぎないと知ると、ばかばかしくなった。すると、オートバイに乗った警官が、俺の自動車のそばで車を停めた。相手は何か話がしたかったらしい。すると警官がふと裏梯子のほうを指さしながら“おや、仔猫があがっていくよ”と言った。そのとたんにコラの部屋のあかりが消えた。警官はやがて立去った。それで俺はコラがうまく亭主を殺してしまったかと考えながら、料理店の台所から入っていくと、二階から下りて来たコラが、
――誰かがヒューズをとばしたよ、と言った。
――亭主のほうはどうした、と俺が聞くと、
――殴ったとたんにヒューズが切れて暗くなったので、そのままにした、と相手が言う。

 風呂のなかへ入ってみると、パパダキスは浴槽から頭を出したまま気を失っていた。俺は、失敗したかと思いながら、そのうえ頭を水のなかへ突っ込む気はしなかったし、それではきっと死体検査のときにばれると思い、シャボンでツルツルする身体をかつぎながら、寝室へ運んでタオルで拭きながら、コラに病院へ電話をかけ、医者を呼ぶように命令した。ヒューズがとんだのは仔猫のしわざであることが翌朝になって判った。猫の死体が裏梯子のところで発見されたのだ。そしてパパダキスは、息を吹き返した。俺たちの最初の計画はまんまと失敗した。

 だが、二回目は思う壷だった。ある夜のこと、三人はドライヴした。俺もパパダキスも酔っていた。コラが車を運転していた。山道にかかったとき、俺はスパナで相手を殴った。すると、まるで猫のようにパパダキスはクッションの上にグンナリしてしまった。薄気味悪いことに、その瞬間、死んでいく男のうなり声が、谷間にこだまして反響してきた。ゾーッとしたが、俺たちは自動車を谷間に墜落させ、そして俺たちもわざと怪我をしながら、殺害の証拠をうまく隠滅したつもりでいた。
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」はこのように、姦通と殺害をテーマにし真向から荒いタッチ――原文の味はここでは伝えられない――で人間愛欲の醜い姿を描いたものである。しかし、この愛欲に狂った二人の男女には、あたかも〈郵便配達が二度ベルを鳴らす〉ように、死んだ人間から復讐を受けるのである。こうした因果応報のテーマがケインという作家の特色の一つであるが、ここではパパダキスが生命保険に入っていたために、彼らの犯行の動機がほじくり出されていくのである。二人は生命保険金が目的で殺したのではなかった。相手が生命保険に入っていることを知らなかった。それで、この暗黙の復讐が、何となく底光りに似た魅力を作品に加え、単なるメロドラマ以上の一級作品にしているのである。

 そして結末は、二人がドライヴ中に操縦を誤って衝突し、女が惨死するとともに、男は故意の殺人罪に問われ、死刑に処せられるという、同じテーマの繰返しによって見事な効果をおさめている。

バトラーの傑作「俺の手の血をなめろ」

 ジェラルド・バトラーはイギリスの作家であるが、「暗い虹」「すっかり惚れ込んで」でジェームズ・ケインよりもケインふうな作家と言われ、一九四六年に「俺の手の血をなめろ」が出版されたときは、そのハード・ボイルド式な描写によって、文字通りセンセーションを巻き起こしてしまった。この作家は痩せ型でスマートな感じの紳士であるが、書くものは恐ろしく乱暴である。映画化されたのは昨年末で、ハロルド・ヘクト=ノーマ・プロダクションの第一回作品、ジョーン・フォンテーン、バート・ランカスター、ロバート・ニュートンが主演し、ノーマン・フォスターが監督した。

 バトラーの最新作にはこの六月に出版された「滑るブレーキ」というのがあるが、これもまた評判になった。

   ×   ×   ×

 俺はあるバーでずっとビールを飲んでいた。

 俺が酒癖の悪い男だと知っていない奴は気の毒千万だ。ところが俺の腹にだいぶビールがたまり出した頃、そばにいた男が何か言いがかりをつけた。それですぐ手が出てしまったが、思わず力を入れすぎたせいか、相手はあっさりと伸びてしまった。

 あたりが急にシーンとした。誰も何にも言わなかった。床に伸びた男の口から血が流れていた。すると誰かが「死んでいるぞ」と言った。
「警察へ電話しろ」とほかの男が小声で言った。

 俺はバーからずらかった。表へ出て駆け出した。ビールの酔いはさめていた。振向くと大勢の追手が追いかけてくる。警官が一人混じっていた。町角で左に折れ、夢中で駆け出すと、ビールの酔いがまた戻ってきた。

 また町角を左に折れた。追手は相変らず追いかけてくる。すると俺は今度は排泄がしたくてたまらなくなった。

 しかし立ち止まったら万事窮してしまうので、両手を握りしめて我慢をしながら駆け続けた。膀胱が破裂しそうになった。

 次の町角を曲ったとき、一人の女が家へ入っていく姿が眼にうつった。俺は夢中でその家へ駆け込み、鍵を奪って錠を下してしまった。街灯が部屋のなかにあかりを差し込んでいた。洗面器が目についた。俺はしっかりにぎっていた女の手を放し、
「向こうを向いていろ」と命令し、洗面器のなかに小便を流し込んだ。

 そのあとで「我慢してくれ、床へ垂らすよりはいいだろう」と言ったが、相手は無言であった。俺の顔をじっと見ていた。女が着ているものは派手ではないが、上品な好みを表わしていた。「今夜はここに厄介になるぜ」と俺は言った。
「だが、へんな真似はしないから安心しろ」

 翌朝、俺は牛乳配達夫が運ぶビンが触れ合う音で目を覚ました。女も起きて、コーヒーをわかした。新聞を見ると、俺がバーの用心棒を殴り殺した事件が出ていた。それで俺は夜までこの家に身を隠す決心をした。

 女は七時頃に帰ってくると言って出かけた。

 俺は窓から見渡した。女のほかに六、七人の通行人がいたが、彼女は俺が隠れていると告げ口はしなかった。しかし、バーの用心棒が死んでしまったんだし、俺はお尋ね者だ。

 新聞や雑誌を広げ散らかしているうちに暗くなった。女は一人で帰ってきた。彼女はハンドバッグからタバコを二箱出して俺にくれた。

 俺はさよならを言った。外へ出ると濃い霧が垂れ込めていた。お誂え向きだ。俺の懐中には二十ポンド残っていたので、服屋へよって新しい服を買って着替えた。それから公園へ行ってベンチにかけ、町の地図をよく調べ始めた。俺のやり方はバスを利用することだ。

 バスの停留所附近でカモを待ちかまえ、金がありそうな奴がいたら、殴りつけて脅し、金を巻きあげ、バスでずらかるのが、一番簡単な商売であった。

 その金で俺は酒を飲み、夜の女を買った。しかし、この女のやり方が気に食わなかったので、用をすましたあとで、金を逆に巻きあげて、外へ出た。その夜は公園に寝た。
「俺の手の血をなめろ」の主人公は、こんな乱暴な男である。だが彼は戦争でドイツの捕虜になり、その残酷な仕打ちで、こんな荒んだ気持の人間になってしまったのである。彼が最初に逃げ込んだ家の女は看護婦であった。男は往来でまたこの女に逢う。そして、二人は不思議な感情からたがいに近づき始め、恋愛へと陥っていく。そして、女の紹介で、男は病院のトラック運転手になるが、彼がバーで用心棒を殴り殺したとき、現場に居合わした男が、彼の正体を見破り、女にたいして恐喝を始める。それだけでなく、彼女の貞操を奪おうとした。腕でねじ伏せられた彼女は、そばにあったフォークをにぎって抵抗しているうち、力まかせに突いたフォークは男の喉に刺さって相手の息の根を止めてしまった。

 こうして女もまた男と同じような運命に陥り、呪われた二人の男女は、あらゆる危険を冒して遠い田舎へ逃げようとするが、ついに逮捕されてしまう。

 この小説は全篇ほとんど血なまぐさい行動の描写だけで綴られ、筋はいたって単純であるが、ハード・ボイルド型のスリラーとしては、確かにジェームズ・ケイン以上である。

 映画化にあたっては相当な手心が加えられ、新しいシチュエーションを工夫し、主人公たちを救おうとしているらしい。
(1949年12月号掲載)
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