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植草甚一WORKS2ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて
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エンタメ
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ヒッチコックの「白い恐怖」と、この映画に参加した世界的超現実画家ダリ

『植草甚一WORKS2ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて』
[著]植草甚一 [発行]近代映画社


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「レベッカ」についで、ヒッチコック監督の「白い恐怖」(原題は「スペルバウンド」)が近く封切られることになった。バーグマンとグレゴリー・ペックが顔合わせする映画で、スリラーのなかに精神分析を持込んだ異色作である。そして、この映画ではヒッチコック・タッチが充分に活かされているというから期待するところも大である。

 そこで「白い恐怖」の紹介であるが、残念なことに、この稿を書くまでに、楽しみにしていた試写が行われなかった。ほかの監督の場合とは特に違って、ヒッチコック映画では、筋などより、彼独特のタッチがものをいうのである。「レベッカ」や「汚名」「断崖」「疑惑の影」を見た人なら、このことは、よく分かっているはずである。であるから、ここでは「白い恐怖」におけるヒッチコック・タッチには触れないで、この映画がアメリカで封切られたときの評判とか、〈夢の場面〉の構成を受持ったサルヴァドール・ダリに関係したことを書くことにして、作品そのものの批評は次の機会にゆずりたいと思う。

「白い恐怖」がアメリカで公開されたのは一九四五年十月であった。当時、バーグマンは「ガス燈」における演技で一九四四年度のアカデミー主演女優賞をとり人気の絶頂にたっしていた。彼女は「ガス燈」につぎゲーリー・クーパーの共演で「サラトガ本線」を撮ったが、これは検閲問題で少し揉め、「白い恐怖」より遅れて一九四五年十一月に封切られた。それで、この作品は、バーグマンがアカデミー賞をとってからの最初の出演映画として前宣伝が利いたが、監督がヒッチコック、脚色がベン・ヘクト、そしてサルヴァドール・ダリの名が一枚加わっていることは、さらに宣伝価値を高めたものであった。


 先に公開された「汚名」は、これにつぐバーグマン主演映画で、アメリカで公開されたのは一九四六年七月であったが、バーグマン、ヒッチコック、ヘクトが同じように名前をならべていたのは、「白い恐怖」の成功がこのような企画をさせたのであったと見ていい。いま、フィルム・デイリーの年鑑を出して調べてみると、一九四六年度のベスト・テンには「白い恐怖」が第五位に「汚名」が第七位にえらばれている。同じくフィルム・デイリーでは、同年度に最もいい仕事をした監督十人をあげ、そのトップに「白い恐怖」のヒッチコックを推している。第二位は「失われた週末」のビリー・ワイルダー、第三位は「聖メリーの鐘」のレオ・マッケリーであった。また、アカデミー賞の銓衡では、劇映画における作曲賞を「白い恐怖」のミクロス・ローザにあたえているし、ニューヨーク映画批評家グループでは、女優最高演技賞を「白い恐怖」「聖メリーの鐘」のバーグマンにあたえたのである。


 この当時、「白い恐怖」について書かれた映画記事は、ほとんど手に入れることは出来なくて、手許にはニューズウィーク誌にのったものは覚え書きしかないが、それには、こう批評してある。

 ――表面だけで判断すると「白い恐怖」は、病的な要素を多分にふくんだロマンティックな探偵映画のようにしか見えない。が、本質的には典型的なアルフレッド・ヒッチコック映画であって、犯罪的雰囲気とそこから発生する〈驚愕〉は特別な性質のものである。そしてその点で一級のサスペンス・ドラマになっている。

 バーグマンが扮するのは、ヴァーモントにあるサナトリウムの女医で精神病が専門であるが、黒ぶちの眼鏡をかけ、髪の結い方もそうした職業の人らしくしている。が、バーグマンの特殊な魅力はそれで失われることがなく、かえって魅力をそえる結果になっている。グレゴリー・ペックが扮するのは、記憶喪失に悩む若い医師で、彼の記憶の底には人を殺したような得体の知れないものが強迫観念と一緒になっている。この分裂症患者の悪夢がサルヴァドール・ダリの装置のなかで、薄気味悪いシンボルとなって表現される。

 ハンガリー生れの作曲家ミクロス・ローザのスコアも、この映画のムードによく合っている。また精神分析の権威であるメイ・E・ロム博士が専門的なアドヴァイスをあたえたということである。最近のスリラー映画はどれも同じような型にはまってしまったが、「白い恐怖」は新しい領域を開いたものとして興味深いものがある。

   ×   ×

 またアメリカにおけるヒッチコック映画の研究家であるローレンス・ケインという人は「アルフレッド・ヒッチコックの影の世界」という小論のなかで、次のように言っている。

 ――「白い恐怖」は、芸術的見地から見ると、ヒッチコック映画として、まるっきり冴えたところのない作品である。プロット自体はスリラーとしてなかなかいいのであるが、フロイト主義を子供っぽく振回して肝心な話のほうを忘れてしまっている。また、カメラ・トリックは変ったように見えるが、いまでは平凡な技巧にすぎない。カメラに向かってミルクのコップがひっくり返ったり、観客に向かってピストルが放たれたり、危機一髪のところで汽車の汽笛が鋭く響いてハッとさせるのも、もう新しいとは言えないのである。それからカミソリの刃がスクリーンいっぱいに写るのも構図的魅力としては別にたいして面白くもない。

 ここで筋を大ざっぱに記すと、ヴァーモントにあるサナトリウムの所長マーチソン博士(レオ・G・キャロル)が首になって、新しい所長エドワーズ博士がやってくる。ところが、この若い所長(グレゴリー・ペック)はT・Bと名乗るだけで過去の記憶を喪失している。精神病専門の女医コンスタンス・パタースン(イングリッド・バーグマン)は、彼に同情するうちに、それが恋に変っていることを知る。ところが実際のエドワーズ博士が行方不明になっていることが判明し、殺されたのではないかという疑惑が起こる。そして、その疑惑がT・Bにかかり、彼自身も博士を殺したような気になってきて、サナトリウムから逃げ出してしまう。警官たちが彼の行方を捜索する。女医コンスタンスもまた、彼の無事を信じながら、警官たちよりもひとあし先に彼を探し出して、精神分析の大家ブルーロフ博士(マイケル・チェホフ)のところへ連れていく。その実験の結果、彼の嫌疑にたいする反証があがる一方、意外なところから真犯人が現われる、といった物語である。

 この原作はフランシス・ビーディングというペンネームでイギリスの探偵作家ヒラリー・セント・ジョージ・サンダースとジョン・パーマーが共作し、それをベン・ヘクトが脚色した。


 上記の二つの批評は、見方がだいぶ違っていて、私たちが見た場合でも結果は賛否二つに分かれると思うが、「白い恐怖」では、サルヴァドール・ダリ構成の〈夢の場面〉がまたいろいろな話題を提供した。戦争をはさんだ期間にシュールリアリズムをすっかりアメリカの人気的存在にしたダリは、けだし画家として最近にない才人だと言っていい。この夢の場面に関係して、アメリカの映画研究家ピーター・テーラーが「映画の魔術と神話」という本の中で、次のように言っている。


 ――ダリを通してシュールリアリズムがアメリカで流行したのは戦争と重要な関係がある。正常な精神の持主であったアメリカ市民たちは、戦地でニューロティックな精神状態に陥った。アメリカにいる人たちは、新聞で読んだ兵士たちの記事から、自分たちもニューロティックになっているのではないかという観念にとりつかれ出した。

 ライフ誌とかルック誌がさかんに、こうした世界の出来事を取りあげたが、一般人の病的なとまで言える傾向と好奇心を最も満足させたのが、ダリの現実派の絵画であった。

 アメリカで異常心理映画が流行した原因は、こんなところにある。イギリスの「第七のヴェール」の成功がそれに拍車をかけたとも言える。

 これは「白い恐怖」ほどメロドラマティックではなく、フロイト主義にも偏していないが、主人公を無意識にさせておいて、潜在意識の底から過去の秘密をさぐり出そうとすることは同じであった。

 それから、似たようなことがモス・ハートの戯曲「闇の中の貴婦人」でも行われた。ここではガートルード・ローレンスが扮する雑誌編集長の異常心理が夢のなかで説明されるというかたちをとっている。そして、すぐさまジンジャー・ロジャース主演で映画化された。

 この夢の場面が「白い恐怖」の重要な部分を構成しているが、これが封切られた頃、フレッド・アステア主演映画「ヨランダと泥棒」(註・日本は劇場未公開、テレビ放映)が公開され、これにも夢の場面があった。そして、この場面は、シュールリアリズムのバレエであったというように、ダリ的傾向が流行していたのである。
「白い恐怖」の夢の場面は、出来のよくないダリの油絵が動き出すといったような印象をあたえた。

 ダリは、ハリウッドが夢の場面をいかに視覚芸術化するかという点で、理解を欠いていることに不満足の意をほのめかしているが、考えれば彼の言うことももっともであるし、同情したい気持にもなる。

 実はダリのように一種の誇大妄想患者だと自称している者だけが、アメリカ映画に何ものかを寄与してみせると言い得るかもしれない。しかし、ダリが構成した夢の場面に、ハリウッドが自分だけの想像力では出来なかったものがあることだけは確かである。夢の場面にはエキゾティシズムがなければならないのに、いままでなかなかそれが巧く出せなかった。「白い恐怖」は、その点でとにかく成功しているのである。

   ×   ×

 この夢の場面がどう構成されているか、見ていないので、いまのところ何も言えない。けれどダリのことだから、変った面白いことをしているであろう。とにかくいろいろな点で公開が待たれる作品である。
(1951年8月号掲載)
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