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植草甚一WORKS2ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて
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エンタメ
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映画芸術家研究 ジョン・ヒューストン物語 第三回

『植草甚一WORKS2ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて』
[著]植草甚一 [発行]近代映画社


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 ヒューストンの「勇者の赤いバッヂ」は予定通り撮影が進行していた。MGMでは製作部長のドア・シャーリーが、このほか進行中の作品のラッシュ・プリントを毎晩食事後に自宅の試写室でうつして下検分するのがほとんど日課のようになっていた。ある晩のこと、リリアン・ロスのところへ彼から電話がかかってきた。「勇者の赤いバッヂ」のラッシュ・プリントをうつすから見に来ないかというのである。

 ドアは上流住宅街ブレントウッドにあるクリーム色のイギリスふうの家に住んでいた。彼は一九五〇年の夏に四十五歳になっていて、ヒューストンより一つ年上であったが、ここでちょっと来歴を記しておこう。

 彼はニューワークで五人兄弟の末弟に生れたが、学校時代に先生と代数のことで喧嘩したのがもとで十三歳のときから正規の学業から逸れてしまった。約六年間は仕出し屋をやっていた父親の手伝いをしたり、ネクタイ屋のセールスマンほかいろいろな仕事についたが、そのあとでハイスクールへ入って夜学までしながら一年で全課程をおさめると、今度はシンシナティの劇団に首を突っ込んだ。これが一九二八年のことで、一年後にはブロードウェイにかかった芝居の端役に出演している。

 この頃彼はプロデューサーのウォルター・ウェンジャーと知り合ったが、ウェンジャーはドアが書いた芝居の脚本を読んで有望と認め、彼をコロムビアへ週給百ドルで売込んでやった。
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