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スクリーンに乾杯!2〜映画だけが我が人生(1940年代編)〜
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はじめに

『スクリーンに乾杯!2〜映画だけが我が人生(1940年代編)〜』
[著]石森史郎 [発行]近代映画社


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 昭和20年(1945)8月15日、日本は連合国側に対して、無条件で、ポツダム宣言を受諾した。昭和7年(1932)に中国(当時は支那)に一方的に侵攻して、戦争の火蓋を切ってから、十三年間の長きに渡って日本国民は、戦乱の中に巻き込まれていたのであるが、その戦争が終結したのである。わかりやすく言うならば、日本は戦争に敗けたのである。

 幼少時から、日本は神国なので、たとえ外国から攻め込まれようとも、神風が吹いて敵を殲滅してくれると、かなり非科学的な説話を教え込まれていた。その奇跡を固く信じていたのだが、やっぱりと言うべきか、遂に、神風が吹いてくれず、日本は敗北してしまったのである。

 日本が無条件降伏をしたものだから、連合国軍というよりも、アメリカ軍が、日本を占領。連合国軍司令部が置かれ、GHQ(General Headquarters)即ち、対日占領政策を実施するために、日本に上陸した直後の1945(昭和20)年から、1952(昭和27)年の対日講和条約発効まで、東京に設置した機関で、日本は、GHQの統治下に置かれていたのである。日本政府を含め、日本のあらゆる機関は、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の指令、命令に従わなければならなかった。無条件降伏したのだから、当然のことであろう。軍国主義だった日本を、民主主義の国家にするために、GHQは、憲法をはじめ、民主主義にそぐわないものは、ほとんど強制的に改めていった。GHQは、アメリカの民主主義を日本人に理解させるのにわかりやすい方法は、視覚教育、即ち映画によって、アメリカの自由主義、民主主義の思想や根幹を判らせようとしたのである。

 GHQは、MPEA(Motion Picture Export Association of America 米国映画輸出協会)をアメリカ映画を日本に輸入、配給する機関として設置。ここを通じてアメリカの映画会社が製作している映画を日本で上映するシステムをとった。

 アメリカの映画製作会社は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、パラマウント、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザーズ、コロンビア、ユニヴァーサル、ユナイテッド・アーチスツ、RKOラジオ、リパブリック、アライド・アーチスツ……アニメーション映画のディズニー映画もあった……記憶から落ちこぼれて、まだ他にあるかも知れないが、一切資料が手許にはなくて、六十四年も遥か過去の記憶をたぐり寄せて、想い出しながら綴っているから、いささか心もとない記述なのだが……これらの大手製作会社に所属せずに、大作映画を製作していた独立プロの大物名プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィン(代表作『嵐ケ丘』『我等の生涯の最良の年』他)、デヴィッド・O・セルズニック(代表作は『風と共に去りぬ』『レベッカ』『第三の男』『終着駅』他)もある。

 昭和16年(1941)初頭、軍の最高司令部に牛耳られていた日本政府は、絶対的命令により、日本国内に於ける外国映画の公開上映を、全面的に禁止した。外国の文化によって、大和魂の、純粋培養の妨害になるとでも考えたのか、外国映画上映禁止は、戦意高揚につながるとでも思ったのであろうか。彼らの浅薄皮相な意図は、全くの逆効果でしかなかった。

 GHQの政策によって、外国映画の上映が解禁になり、MPEAを通して、アメリカ映画が、洪水のように輸入公開された。自由、奔放に、開放感を満たしてくれるハッピーエンドのアメリカ映画、外国文化に渇望していた日本人は、映画館に蝟集する。ポスターには、必ず、MPEAのロゴマークと並んで「アメリカ映画は文化の泉」のキャッチコピーが、ゴシック体で書かれてあった。

 MPEAによって最初に封切られた『春の序曲』と『キュリー夫人』は、もちろん私も飛びついた。アメリカ映画からの「文化の泉」の恩恵に浴さねば、時代に乗り遅れるとばかりに、手当り次第、選り好みせずに玉石混交で観まくった。どの作品からも、どの作品にも、新しい感動を与えられ、魅せられ、魂を抜かれ、私は、際限なく映画にハマっていくのである。

 ここに載せた「1940年代の名画たちへのオマージュ」は、私が、終戦直後、昭和20年(1945)の、アメリカ映画をはじめ、外国映画が輸入され、封切られるようになって、夢中で飛びついて、旧制中学から新制高校時代の期間の、昭和25年(1950)、大学進学のため上京するまでに観た映画の中から、私の心に深く根を張っている作品を選んで綴っている。

石森 史郎
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