1 デ・シーカの過去を訪ねて
イタリア映画のことを話し合ったり、一人で考えたりしているとき、いつもよく起こる衝突現象は、デ・シーカに肩を持つか、それともロッセリーニに肩を持つかという好ききらいの問題が、普通の場合より、何となくより現実的な色彩を帯び始めることである。話し合っている人が、デ・シーカとロッセリーニを話題にしたために、お互いに気まずい感情を抱いたまま別れるということは、きっとよくあることだろう。ある偉いプロデューサーがローマから帰ってきて『ロッセリーニって厭らしい奴だよ。かみさんと、ヘバリつくようにして歩いていやがってさ』と言った。ではデ・シーカはどうですかと訊くと『あの人はどこへ行っても評判がよかったね』と答えたわけである。つまりこのように、才能の問題でなく、人気の問題に話が落ちていく。実際の話が、このところイタリアでもロッセリーニの評判はよくないとみえる。そして、こういう噂を耳にする度に、デ・シーカはやはり役者だな、と思うのである。
「靴みがき」が公開されて評判になった頃『デ・シーカって監督は、もと俳優をやっていて日本にもシャシンが来たね』とすぐさま言い当てた記憶力のいい人がいた。そのときアアあの若い鳥打帽子をかぶった二枚目が、こんなに偉い監督になったのかと感心したが、その映画は「ナポリのそよ風」といって戦争が始まる少し前に公開された。もう一つは「殿方は嘘つき」という映画で、両方とも、その頃非常に評判がよかったマリオ・カメリーニが監督していた。ところでデ・シーカが鳥打帽子をかぶって二枚目ぶりを発揮していた「ナポリのそよ風」でよく覚えている場面は、最初のほうで道ばたから広場のほうへ向けてカメラをすえたショットである。その景色は、どことなく「自転車泥棒」の外景に似ていたが、もっと人通りが多く、もっと浮き浮きした陽春の気配が感じられた。道ばたにキオスク式な新聞雑誌売場があって、鳥打帽子をかぶったデ・シーカは新聞を沢山小脇にかかえて通行人に売っている。そのうち場面は変ってしまうが、彼の役は新聞売りであり、着古した柄模様のウーステッドに見える背広を着ている。