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心の疲れをとる安らぎのススメ
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雑学
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4 マンネリの日常を破って別世界に遊んでみよう▼たとえば、友人と共同で“隠れ書斎”を持つ――

『心の疲れをとる安らぎのススメ』
[編]夢プロジェクト [発行] 河出書房新社


読了目安時間:28分
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左手だけの生活をためしてみる


 左手だけの生活をしてみる……といっても、この場合、イメージとしてあるのは、右利()きの人である。日本人の多くが右利きなのでそうしたまでだが、生まれつき左利きの人にとっては、この項は“右手だけの生活をしてみる”ということになる。要するに、日ごろの慣れ親しんだ生活の手段を、ちょっと変えてみるということである。

 以下、右利き社会を前提として書いていく。一日、左手を利き手としての生活をしてみる。すると、朝から新鮮な驚きの連続である。

 駅で切符を買うとき、改札を通るとき、機械はみな、右利き用につくられているから、左利きの人は常に体を半分ほどひねらなければならない。自動販売機で缶ジュースを買うときも、タバコを買うときも、体を少しひねらなければならない。

 仕事を始めて、企画書や決算書を前にしたときも、左手で記入することを考えるとビックリする。会社の文書は横書きがほとんどで、左から右へと流れている。それを左手で書くとなると大変である。仕事が終わって夕食時、左手で箸を持っておかずを取る、というのも大変である。

 以上、右利きの人が左手の生活をすると、いかに大変かをあげてみたが、だからこそ、ときに左手の生活をしてみてはどうだろうか、と思うのだ。

 同じ世界に住んでいるはずなのに、まったく違う世界がある。その世界に遊ぶのだ。その一番の楽しい遊びは、字を書くことである。

 右利きの人が、左手で字を書く。まず、字にはならない。(ふる)えて、読めるかどうかわからない字になる。

 ところがその字に(わざと汚く書いたのではなく、一生懸命書いたものだけに)味が出てくる。その味を楽しみながら、手紙や年賀状を書くのである。


テレビを鏡に映して左右逆に見る


 日ごろ、テレビを見るとき、私たちは正面から見ている。当たり前のことで、上下逆にしたり、裏に回って見る人は、まずいないだろう。

 だれもが正面から見ていると思うのだが、しかし、正面からばかり見ていると、もうそれが当たり前となって、実際は画面に映っているのに、それを“見ていない”といったことがよくある。

 たとえば野球中継。投手は力投している。その様子をテレビの正面で見ていると、力投はよく見ることだから、特別な感慨(かんがい)は起こらない。細かなフォームなどには目が行かない。

 ところが、その力投の様子を正面からではなくて鏡(鏡台)に映してみると、ハッとする。鏡は左右逆に映るから、右投手は左投手の感じとなるが、それより何より投げ終わったあと、ビーンと体がバネのように()ね上がっている。そこには、いつも正面から見ている姿とは、まったく違うビックリするほど力感あるフォームが映し出されている。

 鏡に映して見てほしい。本当にそうですから。

 日ごろ、常に正面から見ていると、慣れのあまり、見えているものが実は見えなくなっている。打者にしても同じことがいえる。鏡で見ると、左打者の松井選手(巨人)が、右打席に入っているのだが、その空振りしたときの様子は、見慣れたテレビの画面と違って、ゾッとするほどの迫力がある。

 野球などのスポーツ中継ばかりではない。一般のドラマでも、鏡で見ると演技の巧拙(こうせつ)ぶりで、主役の意外な一面を見ることができる。『火曜サスペンス劇場』など、左右反対に映る鏡で見ると、犯人役の俳優の不自然な動きが浮き彫りになり、意外と簡単に犯人がわかってしまうことがよくある。


手ブラで身軽に通勤する


 日本人は、どうも手ブラでいるのが苦手のようである。それは、通勤電車での乗客の様子を見ればすぐわかる。ビジネスマンのほとんどは、カバンを持っているし、学生もリュックを背負っている。

 それは、中に重要なものを入れてあるというよりも、習慣でそうしているような気がする。習慣だから、帰りもまた同じように重いカバンを持ち、リュックを背負って家に帰る。何とも重苦しい。

 そこで、思い切って手ブラになってみる。カバンも持たず、リュックも背負わず、手ブラで家を出るのである。そうすると、長年の習慣から、一瞬、落ち着きを失う。
(大事なものを忘れている。これでいいのだろうか……)

 といった思いに駆られるのだが、その思いを一度だけ断ち切って、とにかく手ブラで出勤(登校)してみる。その最初は、長年の習慣とは違うわけだから、本当に落ち着かない。しかし、歩いているうちに、何ともいえない解放感に(ひた)ることができる。

 何だか、これまではアンカー((いかり))を引きずって歩いていたような思いになる。サイド・ブレーキを引いたまま走行していたような思いになる。

 この解放感は、何ともたまらない。

 くわえて、行動半径が広くなる。カバンをぶら下げているときは、催し物のポスターなどを見ても億劫(おっくう)で行く気すら起きないが、手ブラだと、寄ってみようか、といった思いになる。実際に、その催し物に参加することだってできる。

 たとえば、駅前での盆踊り大会。カバンをぶら下げて踊るわけにはいかないが、手ブラだとそのまま踊ることができる。

 ま、これはたとえだが、そんなふうにしているうちに、これまでとは違う世界が開けてくるのではないだろうか。
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