出勤途中の道端にひまわりの種子を蒔く
出勤途中の道端に、そっと植物の種子を蒔く。種子は何だっていいのだが、できれば朝顔だとか、ひまわりといった身近な植物のほうがいい。蒔く、といっても1粒か2粒である。そして、その生育を楽しみながら出勤するのだ。
まず、種子を蒔く。その場合、種子はそこらに放っぽり投げてもかまわないが(放っぽり投げても、朝顔などは育ってくる)、ここではちょっと細工をして、木の枝などで土を掘り、そこに種子を蒔く(ひまわりの種子を蒔いたことにする)。その場所としては、横断歩道の信号がある少し手前あたりがいい。
準備は、これで終わり。こうして朝、その前を通って出勤するわけだが、種子を蒔いてからというもの、そこを通るときはそれまでとはまったく違う思いになる。
芽が出ていなければ、“大丈夫だろうか”と思い、小型のペットボトルに入れた水を少しだけかけたりする。
芽が出ているのを見ると(よしよし)といった気分になる。その様子は、わが子を見るようである。
芽は双葉に開き、ぐんぐんと生長していく。ひまわりは、文字どおりにぐんぐんと生長していく。出勤途中、その生長ぶりを見るのは、何とも心楽しいものだ。そうして夏の盛りとなるとき、すっくと立ったひまわりの頭が徐々に開いていく。そしてカッと黄金色の花が開く。夏の太陽を浴びて輝くばかりである。
それを、朝な夕なに見る(出勤時に、そして帰りに見る)のは、気分いいものである。
まだ寒さの残る春に蒔いた種子が、これほどのひまわりになったのか……と思うと、たまらない思いになる。が、そのひまわりも頂点の輝きを放ったのち、やがてガクッと首を垂れる。
その姿は、それまでの姿が雄々しかっただけに、一抹の哀れささえ感じさせる。この哀れさも、またいい。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……
『平家物語』の世界に浸ることができるからである。そして、すっかり枯れたひまわりから種子を取って、また来年、それを蒔くのである。
そして新たな発芽を見る。今度は、輪廻転生の世界に浸ることができる。
身近に自分だけの憧れのスターをつくる
憧れのスターは、しかし“憧れ”のスターであって、はるか遠い手の届かないところにいる存在だ。だからシミュレーションのし甲斐もあるのだが、これをもう少し現実味のあるものとして考えてみる。
近場に、憧れのスターをつくるのだ。
近場だから、近くのガソリン・スタンド、スーパー、青果店、文房具店、キオスク、書店など、そこで働いている人を、憧れのスターにする。
近場にいる人、といっても平凡な人ばかりではない。容姿・動作・気遣いなどで、芸能人並み、あるいはそれを超える人だっていくらでもいる。その人を憧れのスターにするのだ。
実際にそうしている人もいるだろうが、この場合は“憧れ”だけではなく、もう一歩踏み込んでみる。
ガソリン・スタンドで、若さいっぱい溌剌と働いている女性(男性)がいたとする。何回か給油を受けたのち、ふっと「あなたのファンのひとりです」とかいっちゃって、パチンコの景品のあまりのチョコレートなどを手渡すのだ。
「ありがとうございましたあっ!」
の、ガソリン・スタンド特有の大声とは違う声が返ってくる……と思う。