孔子が生きた春秋時代は、周王朝の権威が衰え、諸侯が勢力争いをくり広げていた時代である。
そのうちのひとつ、孔子の故郷・魯国はというと、君主の昭公が、八代前の君主・桓公の三人の兄弟の子孫である「三桓」に完全に実権を奪われていた。
そんな時代にあって、孔子は、魯に周の建国当時のような社会を築くという理想に燃えていた。孔子が目指した社会とは、祖先に「礼」を尽くし、その功績を「楽」で称える「礼楽」の世である。
孔子は隣国の斉に旅に出たとき、斉の君主・景公に「政治の要諦(もっとも重要な点)とは何か」と聞かれ、次のように答えている。