前章では、他人の権利を尊重しつつ、自分の権利をはっきり主張するというアサーティブネスの概念についてお話しました。アメリカ社会においてアサーティブな話し方が建設的なコミュニケーションのスタイルとして広く受け入れられてきた背景には、個人の目標を尊重する個人主義の文化的価値観があると考えられます。
これと対照的に、遠慮や察しを重んじる伝統的な日本人のコミュニケーション・スタイルは、集団主義の文化的価値観を反映しているといわれてきました。しかし日本でも“アサーティブネス”あるいは“自己主張”に関する本がかなり出版されているのは、日本人がますます個人主義的になっていることを示しているのかもしれません。
対人関係において年齢や社会的地位の差を意識する度合いも、日本とアメリカの明らかな違いです。先生など目上の人に対する敬意を表現することを容易にする敬語は日本文化の美しい特徴といえるでしょう。その一方、自分の親と同じぐらい年上の人とでも、“友だち”として自然につき合うことが比較的たやすいことは私が好きなアメリカ文化の特徴です。これらの例は、お互いの年齢・地位の差を認め合う、あるいは逆に、そのような差がないかのようにふるまうことを理想とする文化的価値観を反映しているといえます。
もちろんアメリカ社会においても教師や年配の方に対して敬意を払うのは重要とされていますし、日本人でも相手との社会的地位や年齢の差を気にせず、対等の人間として自然につき合いたいという気持ちになることもあるでしょう。さらに、このような意識に個人差が大きいことも確かです。しかし、全体の傾向として日米の文化に顕著な違いがあるのは明らかです。
このような人間関係に関する価値観の違いを理解しないと、日本人の目にはアメリカ人の言動が無礼、さらには横柄に映る可能性があるのと同様、相手によって言葉使いのみならず姿勢などの動作まではっきり変える日本人の行動は、アメリカ人の目にはへりくだりすぎているように映るかもしれません。
異文化コミュニケーションにおいては、このような相手の人格の善し悪しの性急な判断を避け、背景に文化的価値観の違いが存在する可能性、言い換えれば、その人が異なる文化の理屈にしたがって行動している可能性に留意することが重要です。
異文化の狭間で揺らぐ愛 「やさしくキスをして」Ae Fond Kiss... (2004年/イギリス=ドイツ=ベルギー=イタリア=スペイン)
監督:ケン・ローチ
出演:アッタ・ヤクブ、エヴァ・バーシッスル、アーマッド・リアス、シャムシャド・アクタールほか
英国を代表する社会派映画監督ケン・ローチによる「やさしくキスをして」は、異なる文化的価値観の衝突をまれに見るリアリティーをもって描写する映画です。
スコットランドの都市グラスゴーに住む主人公カシム・カーンは、パキスタンから移民してきた両親の息子で、ディスクジョッキーとして働きながら、将来は自分のナイトクラブを経営する夢を持っています。ある日カシムは妹を迎えに、彼女が通う高校を訪れたとき、音楽教師ロシーン・ハンロンと偶然出会います。ロシーンはアイルランド出身で、19歳のときに結婚した夫とはすでに別れていました。カシムとロシーンは文化的背景の違いにもかかわらずお互いに惹かれるようになり、やがて交際を始めます。
その一方で、カシムの両親はすでに息子の結婚相手としてパキスタンに住む彼のいとこを選んでいて、カシムも家族のために見ず知らず同然のこの女性と結婚する覚悟をしていました。それでも、カシムはロシーンとスペイン旅行に出かけたとき、この事実を隠し続けることに対する罪悪感に耐え切れなくなって、彼女に告白します。そして、真実を知って深く傷ついたロシーンの姿を目前に、カシムはこれまで常にまわりの人々の期待に応えることばかり考えてきた自分の生き方にいや気がさし、両親が定めた婚約を破棄する決意をします。
しかし、スペイン旅行から帰ったあと、カシムとロシーンの二人の前途に次々と障害が現われます。カシムは親類から、婚約の破棄は家族の絆を破壊するだろうと警告されて、気持ちが揺らぎ始めます。