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ストーリーとしての競争戦略
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ビジネス
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論理と実践

『ストーリーとしての競争戦略』
[著]楠木建 [発行]東洋経済新報社


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 この本は競争の戦略についての本です。流れと動きを持った「ストーリー」(narrative story)として戦略を捉える視点にこだわって、競争戦略と競争優位の本質をじっくり考えてみようというのがこの本の主題です。そもそも戦略とは何か、ストーリーとしての競争戦略とは何を意味するのか、こうしたことは後ほどゆっくりお話しするとして、まずは私の話のスタンスをはっきりさせておきたいと思います。


 言いたいことは、「論理」が重要だということです。まわりくどく感じるかもしれませんが、世にあふれている「戦略」の議論に(私に言わせれば)おかしな話が少なくないのも、戦略を支える肝心要の論理をないがしろにしているからです。どうかしばらくおつきあいください。


 この本を手に取って読んでくださっている方々の多くは、ビジネスを実践している実務家だと思います。皆さんのような実務家に対してお話をする機会を、私はこれまでに数多く経験してきました。そうしたときに、いつも私は思います。私の話を聞いて実務家の頭によぎるのは、こういうことなのではないでしょうか。「おまえに何ができる? 偉そうなことを言うな!」


 私はこういう実務家の気持ちがよくわかります。時々は面と向かって言われたりもしますので、痛いほどわかります。戦略論という、なまじっか「実践的」な分野で学者稼業をしていると、経営や戦略を仕事として実践している人々とのインターフェースがどうあるべきなのか、真剣に考えざるをえません。


 皆さんは、それぞれの実践世界で、何らかの「解くべき課題」に直面していることでしょう。そして、それは普通ちょっとやそっとで解決がつく問題ではないでしょう。資源や時間の制約の中でどうやったら業務プロセスをもっと効率化できるか。どうすれば競争力のある製品を開発できるか。そもそもどうやったら業績が上がるのか。とても具体的で切実な問題があるはずです。しかも課題の中身は一人ひとり違います。今、一〇〇人の実務家がいれば、そこには一〇〇通りの、それぞれに異なった「解くべき課題」があるはずです。


 一方の私はというと、いわゆるビジネスの「実務経験」はありません。私は学生の頃から、自分がビジネスの方面に進むとまずいことになるだろうという確信(?)がありました。子どもの頃から、競争となるとどうにもダメなのです。厳しい競争や利害関係にできるだけ巻き込まれず、自由気ままに好きなことだけして生きていきたいな、というのが私の漠然とした将来についての希望でした。できることなら歌舞音曲の方面でユルユルとやっていきたかったのですが、それもままならず、流れ流れて行き着いた先が今の学者という仕事です。皮肉なことに、「ビジネス」スクールで「競争」戦略を教えているのですが、それでも利益を追求するビジネスではないことには変わりありません。大学はNPO(非営利組織)であります。


 いずれにせよ、私のような立場の人間が皆さんのような実務家に話をするとして、その価値なり意義はどこにあるのでしょうか。一〇〇通りの解決すべき問題のすべてについて、こうやったらいいですよ、こうすればたちどころに業績が上がりますよ、というような個別のソリューションは率直にいってありません。経営学と経営は違うのです(一緒だったら、私はそもそも学者商売を選んでいません)。「学者の話を聞いて良くなった会社はない」という金言(?)もあるそうです。


 「机上の空論」という言葉があります。この言葉の意味するところを、私は図1・1のように理解しています。ビジネスの成功を事後的に論理化しようとしても、理屈で説明できるのはせいぜい二割程度でしょう。丹羽宇一郎さんは「経営は論理と気合だ」と言います1。理屈で説明できないものの総称を「気合」とすれば、現実の戦略の成功は理屈二割、気合八割といったところでしょう。あっさりいって、現実のビジネスの成功失敗の八割方は「理屈では説明できないこと」で決まっている。


 「理屈では説明できないこと」とは何でしょうか。まず、「運が良い」ということがあります。運が良いこと、これはどう考えてもビジネスの成功を大きく左右する要因です。幸運は理屈ではとうてい割り切れません。


 もっと大切なものに「野性の勘」があります。ビジネスは多かれ少なかれ「けもの道」です。その道の経験を積んだ人しかわからない嗅覚がものを言います。右か左かどちらに行くべきか、判断を迫られたときに野性の勘で右を選び、五年経って振り返ってみたら、あのときのとっさの判断が効いていた、というようなことはしばしばあります。これもまた理屈では十分に説明できません。


 野性の勘なり嗅覚は、さまざまな実務の局面で有効な判断基準のようなもの、「こういうときはこうするものだ」というフォームのようなものです。自分のけもの道を「走りながら考える」ことによって、実務家は判断基準なりフォームを構築していきます。自らの一連の行動が貴重な実験です。自分(や日常的に観察できる周囲の人々)の行動の一つひとつが判断基準の有効性を検証するためのサンプルになります。けもの道を日々走り、走りながら考える中でフォームが練り上げられ、これが野性の勘を研ぎ澄ませるわけです。


 実務家であっても、完全に個別の具体的な現実にべったり張りついて、本当の意味での「直感」で場当たり的に判断し、行動しているかというと、そんなことはありません。優れた実務家は、必ずといっていいほど何らかのフォームを持ち、それを野性の勘の源泉として大切にしているはずです。学者のいう「理論」ではありませんが、その人に固有の思考や判断の基準があるのです。


 当人にとっての有用性という意味では、野性の勘が一番上等です。自動車を運転しているときのことを考えるとわかりやすいでしょう。車で走っている人ほど、よく「見える」のです。ちょっとした障害物があっても、すぐにそれを認識し、ハンドルを切るなどして素早く反応し、適切な行動をとれます。これは立ち止まっている人間には、なかなかできない芸当です。そのけもの道を走っている人だけが、走っているがゆえに、きちんと見ることができるのです。


 この比喩でいうと、学者とは、さまざまなけもの道を走っている人を眺めながら考えているという人種です。実務家に見えるものが学者には見えません。ましてや、迅速で適切なアクションもとれません。立ち止まっているからです。実務家にとって本当に有用なのは、結局のところ一人ひとりがそれぞれの仕事の経験の中で練り上げていくフォームであり、研ぎ澄まされた嗅覚のほうです。学者の考える理屈は、実務家の野性の勘に遠く及びません。だったら、理屈なんて考えないで、さっさとけもの道を邁進したほうがいい。「学者の理屈は机上の空論」と揶揄される成り行きです。


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