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学校ではあつかえないウラ日本史
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歴史
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豊臣秀吉●名家の娘を次々と食いモノに!

『学校ではあつかえないウラ日本史』
[編]歴史の謎を探る会 [発行] 河出書房新社


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 豊臣秀吉は、日本史上の武将のなかで、もっとも「英雄色を好む」という表現が似合う男といえるだろう。
伊達世臣家譜(だてせしんかふ)』という記録によると、秀吉には淀殿を含めて一六人の側室がいた。これに正室の北政所(きたのまんどころ)を加えると、一妻一六妾。しかも、そろいもそろって名家の娘である。

 よく名前が知られているのは、京極高吉(きょうごくたかよし)の娘松の丸殿。この人の母親は浅井長政(あさいながまさ)の姉だから、淀殿とはいとこどうしということになる。また、三の丸殿は信長の娘。姫路殿は信長の弟信包(のぶかね)の娘。加賀殿は、前田利家(としいえ)とまつの娘。三条殿は蒲生氏郷(がもううじさと)の妹と、いずれも名家の娘たちばかりだった。

 しかし、病的なほど女性好きだった秀吉は、これ以外にも多くの女性をモノにしていた。『日本史』の執筆で知られる宣教師のルイス・フロイスは、次のように証言している。
「主立った諸大名たちの大勢の娘たちを養女として召し上げ、彼女らが一二歳になると己の情婦としました。諸大名の娘たちで美人という評判が秀吉の耳に達すると、ただちに連行されなかった者は一人としてありませんでした」

 つまり、秀吉は、最初は養女にするという目的で娘を召し上げ、女として成長してから自分の愛人にしていたのだ。ひどいといえばこれほどひどい話もないが、フロイスによると、大名や公家たちはそれを「拒否せぬばかりか、喜んで娘たちを提供して身の安全をはかっていた」という。

 しかも、その数二〇〇名とも三〇〇名とも記されているから、尋常ではない。大坂城は、秀吉の一大ハーレムと化していたのだ。

 それにしても、何が秀吉をここまで貪欲にさせたのだろうか? 名家の娘たちばかり召し上げたのは、一つには人質の意味もあっただろう。だが、娘たちのなかには、没落した家系の者もいた。

 家柄にこだわったのは、むしろ、農民階級出身の秀吉が、血筋のいい女性になんとか自分の子を産ませたいと考えたからだろう。ようするに、出自コンプレックスが、秀吉を尋常ではない好色の道に走らせてしまったのだ。

 しかし、子づくりという意味では、結果は失敗。かろうじて、織田家の血を引く淀殿が秀頼を産んでくれたが、それさえ秀吉の子ではないのではないかと疑われる始末。天下人も、子づくりだけは思いどおりにならなかったのだ。

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