猫に小判の価値はわからない
猫に小判ということわざがあります。実際に猫に小判を見せても何の興味も示しません。それどころか、人間でさえ小判の価値を知らない人(例えば赤ちゃん)に見せても、さほどの興味を示しません。宝石だってそうです。幼児にガラスとダイヤモンドを見せても、その価値を判断できません。それよりもプーさんのぬいぐるみのほうをとるでしょう。
でも、私たちは違います。時価100億円相当のダイヤの山が眠っている場所があると知れば、少々命が危ない場合でもそれを発掘しに行こうとするものです。考えてみればダイヤは単なる石ころ。にもかかわらず、命をかけるほど欲しくなるのはなぜなのでしょう。100億円になるからです。でもどうして単なる石ころが100億円になるのでしょう? その理由は1つしかありません。単に希少価値であるということ、それだけです。食べても身につかない、美しさもガラスと変わらない、そんな石ころを欲しがる理由は稀少価値であるというただそれだけのことなのです。