『タモリ学 タモリにとってタモリとは何か?』
[著]戸部田誠(てれびのスキマ)
[発行]イースト・プレス
タモリが福岡で生まれたのは1945年8月22日。終戦から1週間後のことだった。
「だから、ぼくは、『戦後にいちばん近い』っていう……。『戦後の象徴的な人物だ』と、自分では思っているんだけど、ま、誰も、そんなこたぁ、思っちゃいないですね」[1]
本名は「森田一義」。もともとは祖父が尊敬していた元総理大臣の「田中義一」からとって「義一」と命名する予定だった。しかし元総理の名前をそのまま使うのは「恐れ多い」ということや、上が画数が多くて下が少ないと頭でっかちな人間になってしまうと姓名判断で判定されたりしたため、ひっくり返して「一義」となった。「森田」を逆にして「タモリ」となる予兆がこの時からあったのだ。
「僕は苗字も名前も逆になってるんです。逆人生」[2]
タモリは自らの家系をして「中学生程度の学歴では理解できない。高校卒業程度の学力が必要」だと笑う[3]。
タモリの祖父母(正確には養祖父母にあたる)には、子供が生まれなかった。そこで祖父母は、それぞれの血を受け継いだ子を養子に迎えることにした。祖母は12人兄弟の一番下の弟を、祖父は妹の子を養子として引き取った。妹は早くに夫と死別しており、子供がいると再婚に不利に働くのでは、という考えもあった。
この養子ふたりを育て、タモリ曰く「学校に通わすなどの恩を売り」[3]、ふたりを結婚させた。そしてこのふたりのあいだにできたのがタモリの姉と、タモリである。
しかしタモリが3歳の頃に、両親は離婚。祖父母はタモリ姉弟を引き取り、育ての親となる。
「おふくろに聞いたら、始めから(おやじを)好きじゃなかったらしい。祖父さんに子供がいないから、うちのおふくろとおやじを強引に結びつけたらしいんですよ。で、恩があるからしようがなくて……。でも、おやじのほうは(おふくろに)惚れていたと、おふくろはいうんですけどね」[4]
ある時、「嫌いと言いつつふたりも子供を産んでるじゃないか」とタモリが指摘すると、「私は妊娠しやすいタイプだから」と返されたという[4]。ふたり子供を産んだといっても、セックスは最低限の数しかしていないかもしれないじゃない、というわけだ。
そんなタモリには、かつてある疑念が生じていた。自分は本当に父の子なのだろうか。「小さい時はその(確認)作業ばっかりだった」という。
「(昭和20年8月生まれということは)仕込みが19年になりますよね(笑)。で、私は調べたんですけども、19年はおやじは戦地に行ってるんですよね」「(おやじは)主計少尉かなにかで、宮崎から博多へちょいちょい帰ってきて、不自由して」[4]
そしてこう結論付けた。
「(おふくろは)妊娠しやすいタイプですから、それはまあね(笑)。近所に似てるおやじさんもいなかったし、そういう噂も聞かなかったから、それは安心してるんです。おやじも結構俺を可愛がったし……(笑)」[4]