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人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。
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エンタメ
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女について

『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。』
[著]岡本太郎 [発行]イースト・プレス


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 男女関係、そのかけひきは、当事者にとって一般商取引や権威の争奪と同じように危険で複雑な面を含んでいる。


 実力がものをいう食うか食われるかの社会はのっぴきならないとはいうものの、お勤め人や、普通に商売をやっている人達はよほど大それた考えを起さない限り、無事安泰だろう。だが、男女関係はまた別ものだ。


 おそらく、女に惚れぬ男はいないだろうし、男に惚れぬ女もない。人生に野心を持たなくても、またそんな人こそかえってとことんまで異性に熱をあげたりしてしまう。恋愛こそ、だからどんなのんき者でも経験する人生のスリルといえるだろう。


 熱をあげるということは、それ自体、大へんな苦痛をともなうものだが、しかし何といってもおめでたい。ところで、その熱がスーと下って、興ざめ、ということになると、こいつはまずい。


 せっかく燃えたっていた情熱が、何かの機会で冷水を浴びせられる。その時の味の悪さ。恋愛の成り立ちが軽薄であればあるほど興ざめはガラガラッと来る。いかに心の中で努力して、ケン制してみても、しょせん精神の不随意筋である。どうにも致しようがない。空虚な穴を前にしたような、いやあな気分だ。


 する方は、だがまだそれだけですむ。眼の前にあっても、すぐに忘れ去ってしまったようなものだ。しかし興ざめされるほうとなってみれば、──一刀のもとにズバリ断ち割られたのと同じである。いかに笑いでごまかしたところで。


 これは冷えかかっても待てばまた熱してくる──というものではない。アレヨアレヨという間に、さめて行ってしまう。するほうだって多少はあがくが、されるほうは絶体絶命だ。駄目だと知りながらも、本当にあきらめ、火が消えはててしまうまで続く。これは精神の悲劇であり、矛盾である。


 しかし考えてみれば、恋愛でもイリュージョンであり、興ざめだってまたイリュージョンの裏返しだ。だがそこにはそれなりのメカニズムがひそんでいる。


 だいたい、恋愛のはじまりというものは、奇妙によそゆきである。暗黙のうちに、お互い、よそゆきであることを知っているし、その故にスリルもある。相手のかくしている実体を、猛烈に知りたがりながら、そこにまた魅力を感じるのだ。


 こういうと、恋愛のような情熱をだましあいのようにゆがめて見るのはけしからんと、異論が出るかもしれない。だがあなた自身、恋心をおぼえはじめるときには、その相手に対して、奇妙に自分を意識するに違いない。身なりはもとより、話題、話し方、身ぶり、歩き方まで。そんなことに神経を使わない恋愛なんて、まあ私には想像ができない。


 あなたは相手に対して虚像を描く。相手もあなたに対して虚像を見せつける。それがトントン拍子にうまくからみあい、いわゆるウマがあえば、恋愛は成立する。(恋についてばかり話すようだが、興ざめのためには、まず多少とも熱のある興味・関心が前提条件だからである)


 ところで、見なれるにつれ、やがて相手は考えてもいなかった姿、つまりあなたの虚像でうち消し、うち消されていた実体をあらわしはじめるだろう。あなたも、相手に対して同じことである。


 そのときに、もし、スムーズにゆけば、恋愛はますます生活的に強化されて行き、まことにおめでたい限りである。


 だが、その反対の場合、危機がある。それがまさに興ざめの瞬間である。いかなる他人よりもさらに遠くなってしまう。恐ろしい瞬間ではある。


 前おきはこのくらいにして、いったいどういうきっかけで女性に興ざめするか、具体的にお話してみよう。しかしお断りしておくが、これはあくまでも私の場合であり、いわば私のすき好み、主観である。


 どうも、あまりにも膨大なケースがあり、しかもあまりうれしい話でもなし、ややうんざりするのだが、まあその中から最も平凡で一般的、判で押したような例を二、三とり上げてみることにする。


 別だんいろ恋ではないが、どんな女性に会ってもまず恋愛的対象になり得るというばく然とした気分で接し、夢をかづける。はなはだ心地よいものだ。だがそのとき、相手の受け応えが問題である。期待をはずされて、それ以上一歩もつきあいを進めたくなくなることはしょっちゅうだ。


 平気で、自然であれば、おのずと魅力があふれるのに、そうでないものは、いつでも幻滅である。


 たとえば、服装だけ見るとスポーティできりっとしている。ところがご本人はというと、いかにも頭の働きがにぶく、身体のこなしまで重ったるいとか、さらに古くさい、人眼にとらわれたしめっぽさや卑屈さがのぞいたりすると、もういけない。ジャガイモが袋をかぶってるような味気なさを覚える。つまり、見せかけや期待からずれるというのが興ざめの原因のようである。


 同じバカなことをペラペラしゃべっても、面つき次第だ。まったくの白痴型だったら、どんなことをいってもそれがまたかえって愛嬌になっておもしろい。そういう女性にはまた別な角度から期待をもつ。だから別にそれで幻滅するということはないが、いかにも知的で、化粧から身のこなしから、キリッと鋭い。そういうタイプでいながら、話しているとどうも頭のわるい、しかも妙にインテリ気どりの見当ちがいを得々としゃべりちらす女性には、サムケを覚える。また個性的だと思った女性を、ちょっと甘い言葉で口説きかけたりして、おうむ返しに「だれにでもそんなことおっしゃるんでしょう」なんて、切れ味の悪い紋きり型の返事でもされたりすると、いっぺんに興ざめである。


 言葉といえば、日本女性のよく使うなかで、私が一番きらいなのは、「あたくしなんか」という合言葉である。いまどきのお嬢さんにそんなせりふを吐かれると、がっかりする。たとえ口さきだけの合言葉にすぎなくても、そういう気分の女とは、ダテにもスイキョウにもつきあいたくはない。

「あたしのようなオタフク……」という言葉をはじめて聞いたのは、久しぶりでヨーロッパから帰ってきた時だ。びっくりして、本当にそうなのかと、まじまじと相手の顔をながめて見た。だがちっともオタフクではなかったので、二度びっくり。変ないい方をするものだと思った。その後しばしば「あたしなんか」にぶつかっているうちに、敵の根性がわかってきて、「当たりメエだ!その通りだよ」と怒鳴りつけたくなる。逆にそれが美人だったり、聡明そうな女だったりすると、コンチキショウと思う。どうしてこう素直じゃないのか。


 もう一つ、日本女性に特有の興ざめケースがある。


 つつましやかで、色気なんてものはツメの先ほども持ち合わせていないというようなお嬢さんがよくいる。それでもつきあっている間に、たまには男に生れた義理、色っぽいお世辞の一つもいったりすると、「まあ──」けがらわしい、やめてくれという顔つきである。だからすっかり安心して、さっぱりしていると、忽然と、ものすごい深刻なラブレターを書き送って来たりする。あるいは親戚知友などという輩が、何とかしてくれなんてひざづめ談判にのりこんで来たりして、はじめてオヤオヤと気がつき、まさに興ざめすることがある。


 常日頃から、好きなら好きなように、明朗に、すなおな態度を見せていれば、そんなにドカンと思いつめたり、興ざめの瞬間を爆発させるなどという下手なをうたないでもすむだろうに。

「つつましやか」もいいけれど、少しも外に表わさないでおいて、突然、自分の情熱が権利みたいに、一方的に押しつけてくるなんていうのは、しつけがよすぎるのかもしれないが、かえって厚顔無恥な気がしてがっかりする。


 さていよいよナマナマしい本論にふれて行こう。ここで精神と肉体が微妙にからんでくる。はじめて接吻をするときの相手の態度、この瞬間女性の実体があらわになる。


 受け方、拒み方、……それはいわゆる教育とかしつけによって教えたり教わったりするものでない、人間本能と、その人本来の自然のセンスがひとりでに行わしめるコケットリーと、難しくいえば人生観のようなもの全体が浮かび上ってくる。


 いかにもなにか重大なものを許した、というようなポーズをとる女性は愚かに見える。そんなもの何でもないという調子では、当方はもちろんうれしくない。興がのるはずはないのである。


 ためらい、投げ出し、そしてまともに自分の行為に対して、悪びれない女性。そういう人こそ、いじらしく、可愛らしく、また頼もしい。


 あわててこちらなんかよりも口紅を気にする女性はかなわないが、またいつまでたっても一向気にしないでいられても困る──なんてことは、だれでもが経験している陳腐なことがら。


 さて、さらに本論に入って行くのだが、今までのことはそのまま、ずらせば肉体関係の種々のペースにも当てはまるのだ。


 ただここまでくると、ちょっと困ったことが生じる。どんなに好きな相手でも、精神的動機とは無縁な、純粋に肉体的な興ざめの瞬間というものにぶつかるのは、男性としていかんともしがたい。


 だからこそ女性よ、この自然であるだけに極めて正直であり、したがって強力な、男女間の一番の危機の瞬間をのりこえるだけの注意と、なまめかしいデリカシーを失わないでほしい。一瞬が人生を決定することがある。夢々、心身ともの興ざめなんかひき起さないように、とは世の男性を代表してここにヒレキする最も切実な願いである。

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