アフリカの民族紛争を生んだ罪つくりな国境とは?
アフリカには、一つの国でいくつもの言葉が話されていることがある。そのため、サッカーなどの代表チームでも、同じ国民なのに、選手どうしで言葉が通じないことがあるという。これは、一国にいくつもの民族が共存するため。
そうなった理由は、アフリカの国境に直線が多いことも関係している。
アフリカの大地は、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパの国々によって分割された。フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどが植民地支配に乗り出し、アフリカを勝手に分割したのだ。
その境界線を決めるとき、一部については、古くからの王国や民族の勢力範囲が考慮された。そのケースでは、河川や山脈などが国境となっている。
ところが、そうした線引きが面倒な部分は、列強が地図上に勝手に定規で線を引くことで妥協した。とくに、サハラ砂漠やカラハリ砂漠周辺は、ろくに調査もされないまま勝手に分割されたので、一直線の国境線となった。
むろん、列強の国々は、国境線を決めるとき、そこに住んでいる民族のことなどまるで眼中になかった。その結果、同じ民族が二つの国に分かれたり、異民族なのに同じ国にまとめられたところが少なくないのである。
現在まで続くアフリカでの民族紛争は、その多くがこの国境線の決め方が根本的な原因となっている。
隣り合った国なのに、国境線のないところとは?
日本の国内地図にない記号とは何だろうか? 答は国境線。海に囲まれた日本には、国境線がない。ところが、陸続きで隣り合った国なのに国境線のないところがある。
それは、アフリカ南部のザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビアの4カ国が接する地点。この4カ国は、お互いに国境線ではなく“点”で接しているのだ。
また、東南アジアのタイ、ラオス、ミャンマーの3カ国も、やはり“国境点”で接している。ただしこちらは、川が国境なので、“国境点”は国境となる川の中央部分となる。