故事ことわざに“杞憂(きゆう)”という言葉がある。「そんな心配は杞憂だ」とか「杞憂に終わった」という文脈で使うヤツだ。古代中国の杞の国にいた人が天が落ちてくるのではないかと憂いた故事にちなむ言葉で、心配する必要がないことを無駄にあれこれ心配する意味で使われる。ところが実はいまでは“杞憂”は杞憂でなくなった。本当に天が落ちてくることがあるのだ。その結果、1億5千万年もの長きにわたって地上の覇者であった恐竜たちは滅びたのだから。地球の歴史で言えば“ほんの”6500万年前のことである。
宇宙からやって来る恐怖は小惑星や彗星衝突だけではない。巨大太陽フレア、超新星爆発、反物質ジェット、ブラックホール、ガンマ線バースト、太陽の死、宇宙の終焉などなど、とてもヤバイことが宇宙にはゴロゴロしている。実は、どれもはるか昔から存在していた恐怖なのだが、ぼくたちが無知だったために知らなかっただけなのだ。科学が進歩した結果、ごく最近になってわかってきたことも多い。自然界のしくみやからくりを知るということは、同時に、その背後に隠されていた危険や危機を暴き出すことにもなる。
では、危険の存在など知らなかったほうがいいのだろうか。いや、無知なままよりは、やはり危険が存在することを知ったほうがいいと思う。さらに危険の正体を知らないよりは、危険の正体がわかっているほうがいいに決まっている。危険の正体を知るということは、危険を未然に防いだり回避したりすることが可能になるかもしれないからだ。
本書では、まず天に存在する“杞憂ではない”恐怖を知ってほしい。そしてまた恐怖を回避するためにできることを一緒に考えていただきたい。
福江純(大阪教育大学 天文“楽”者)