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本当は怖い日本の城
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歴史
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角館(かくのだて)城

『本当は怖い日本の城』
[著]知的発見!探検隊 [発行]イースト・プレス


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出羽国
みちのくの小京都は町全体が防衛拠点に

〈角館城データ〉
築城主:戸沢氏
築城年:1424年
所在地:秋田県仙北市角館町古城山
アクセス:JR田沢湖線角館駅下車

角館に城のない城下町ができるまで


 角館城の南側一帯には武家屋敷が数多く建ち並んでいる。いわゆる城下町だ。今も角館に現存する最古の武家屋敷の石黒家、中級武士の屋敷である岩橋家、下級武士の屋敷である松本家などがあり、江戸時代の面影を色濃く残し、その景観から「みちのくの小京都」と呼ばれている。

 この城下町を建設したのが、当時の城主・蘆名盛重(あしなもりしげ)(のちの義勝)だ。江戸時代、角館城は佐竹氏の所領となり、実兄である佐竹義宣からここを譲り受けた蘆名盛重が居城することになる。しかし、元和元年(1615年)の一国一城令の発令に伴って、元和6年(1620年)には角館城も廃城の対象となった。

 これを機に蘆名盛重は古城山南麓の屋敷に居館を移し、角館城の北側にあった城下町を捨て、新たに南方の原野に城下町を建設したという。

 その際、盛重はいざというときの防衛を考えた町づくりを心がけた。川と山に囲まれ、守りやすく攻めづらい場所に館を構え、寺院が町を囲むように配置し、武家屋敷それぞれが抵抗拠点となるように設計した。ちなみに、蘆名家は3代目で断絶している。

城豆知識〈角館城〉

奥羽の片田舎に京風文化が花開いた意外な理由

「みちのくの小京都」と呼ばれる角館の城下町。一見、奥羽と京の都では距離が遠すぎて接点がないように見えるが、あながち無関係というわけでもない。というのも、蘆名家断絶後に角館に入ることになった佐竹義隣(さたけよしちか)は大納言高倉永慶の次男で、母が藩祖・佐竹義宣の妹だった関係から、佐竹北家の養子に迎えられた人物。

 また、義隣の子・義明は公卿の三条西家の娘を妻としている。このように佐竹北家と京の都との関係は深く、そのため奥羽の田舎に京風文化が花開いたと考えられている。


別名、小松山城。現在は角館町が一望できる古城山公園として整備され、主郭をはじめ数ヵ所の郭と思われる平地や空堀が残っている。



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