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田中角栄 権力の源泉
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政治・社会
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越山会の原型──下からの盛り上がり

『田中角栄 権力の源泉』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


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 昭和二七年八月二八日、総理の吉田茂は、臨時閣議で、“抜き打ち”解散を断行した。田中は、緊張した。

〈いよいよきたな〉


 前回の選挙も苦しかった。今回も、当選する確信はなかった。しかし、燃えていた。

〈電化の成功を武器に、かならず当選してみせる〉


 昭和二七年一〇月一日の総選挙をめざして、田中角栄は、選挙運動を展開していった。


 長岡鉄道の労働組合大会の会場では、組合長の千羽幸治がぶちあげた。

「みなさん、田中社長は、倒産寸前の会社を救ってくれた恩人であります。田中社長の力があればこそ、電化にも踏み切れ、再建の第一歩を踏み出すこともできたのです。しかしあくまで第一歩です。完全な黒字体制になるまで、まだまだ田中社長に働いてもらわなくてはなりません。われらが社長が当落線上をさまようようでは、とても今後の再建はむずかしくなります。われわれが一致団結して、田中社長を当選させようではありませんか!


 会場は、拍手に埋まった。

「異議なし! なんとしてでも当選させよう!


 組合員は、ほとんどが、長岡鉄道沿線から通ってきていた。各組合員が、自分の地域の選挙民を担当し、選挙戦を展開することになった。


 田中角栄は、年齢が若い。同じ選挙区から出ている民主自由党の亘四郎陣営などに言わせると、「若造もいいところ」であった。いくら長岡鉄道電化の立て役者だといっても、田舎のほうへ行けば、田中を知らない人が多い。


 組合員たちが気を使ったのは、とにかく選挙戦をしているようには見えないようにすることであった。秘密裡に動き、「地下作戦」でいった。家々を訪問するときには、昼間ではなくて、夜中遅くなって訪ねてゆくなど、苦労を重ねた。大っぴらにやると、敵方からの切り崩しに遭う。


 また、隣から隣へと訪ねていくと確実に敵方に知られてしまうので、目ぼしい人をあらかじめピックアップしておいて、できるだけ、バラバラに訪ねていったりした。のちの企業選挙のはしりであった。


 木川忠松副組合長の提案で、「田中杯争奪」と銘打った野球大会と釣り大会を、青年団を対象におこなった。


 徐々に田中角栄の名は、青年たちを中心に浸透していった。


 この選挙戦に加え、本間幸一が、地元の選挙民を、目白台の田中の家へ団体旅行させる「目白詣で」を思いついた。


 本間は、田中が昭和二一年に初めて衆議院に立候補したときから、選挙の手伝いをしていた。そして、田中が落選したあとは田中土建工業に入り、経理事務をしていた。


 田中は、今回の選挙を固めるため田中土建に入れていた本間を、田中土建が左前になると同時に、長岡鉄道に総務課員として送り込んでいた。本間には、選挙面を担当させた。

「団体で寝泊まりし、同じ釜の飯を食うと、不思議と仲間意識が湧くものです。わたしは柏崎にいたころ、ボーイスカウト活動をしていましたから、経験的に知っています。団体で東京に来て、社長に会うことを繰り返しているうちに、自然に後援会が固まっていくものです。いまは春ではないが、春に旅行すると、さらに効果も出ます。越後の長い冬からの解放感も味わえ、あたたかい東京に出かけて、太平洋側と新潟の地域格差を肌で知ってもらうこともできます」


 田中は、本間の話に浅黒いつやのある顔をほころばせ、はずんだ声で言った。

「おお、すばらしい考えだ。これから、毎年それをやろう。おれも、時間のある限り、地元民と会う」


 本間は、さっそく「目白詣で」を実行に移した。


 二泊三日の日程を組み、地元民を夜行列車に乗せ、新潟を出発した。地元民にとって、新潟から出、東京へ旅行できるなど、夢のような楽しさであった。翌朝、東京温泉で一風呂浴びさせ、朝食をとらせた。それから、小佐野賢治の経営する国際興業のバスに乗せ、目白台の田中邸に向かわせた。


 田中邸では、田中が下駄をつっかけたざっくばらんな姿で出迎えた。田中みずから、一人ひとり全員にお茶を出し、(よう)(かん)を配った。


 当時は甘いものがめずらしい時代であった。みんな羊羹を紙に包んで持ち帰ったものである。


 田中は、みなを前に、得意の浪花節「天保水滸伝」を唸った。


 選挙民たちは、田中の浪花節に拍手をし、「おらが先生」という親しみを持った。


 選挙民たちは、このあと、国会議事堂を訪ねた。生まれて初めて踏む赤絨毯を、まるで、雲の上でも歩いているような気持ちで歩いた。


 地方からの選挙民が、国会の赤絨毯の上を団体で歩く姿は、田中陣営が初めてである。


 本間は、選挙民たちを案内して歩きながら、自分の案の成功を確信していた。

〈これで、下からの盛り上がりはうまくいった〉


 この団体旅行が、のちの、「越山会」の原型となる。本間は、越山会の「国家老」として采配をふるっていく。


 田中は、「企業ぐるみ」「団体旅行」の二面から、確実に票を固めていった……


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