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イスラム潮流と日本
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クリミアのタタール人たち

『イスラム潮流と日本』
[著]宮田律 [発行]イースト・プレス


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 二〇一四年の国際情勢の焦点となり、かつての米ソ対立の冷戦時代を彷彿させたのはウクライナ問題であった。クリミア半島を併合するなどロシアの欧米に対する強硬で、非妥協的姿勢と、欧米のロシアに対する経済制裁は、ロシアとの間に領土問題を抱える日本も欧米の経済制裁に協力するなど世界的規模の緊張をもたらすものでもあった。


 一九四四年にスターリンによってクリミア半島から追放されたタタール人は二二万五〇〇〇人とも見積もられる。中央アジアなどに強制移住させられたタタール人のうち大勢が帰還したが、現在ではクリミア半島の総人口の一二を構成するにすぎず、強制移住の記憶は容易に払しょくされない。こうした過去における民族浄化の記憶があるからロシア軍のクリミア半島への駐留強化とその後のロシアへの併合は、そこに住むタタール人たちにとってひどく不安に思われたに違いない。ロシアの強硬な姿勢に対してタタール人たちは自警団をつくるようになり、モスクなどイスラムの宗教施設を自らの手で守るようになった。他方、クリミア半島の親ロシア派勢力はタタール人たちに、クリミア自治共和国の独立後に行政府の官職の二〇を与えることや、タタール語に第二言語の位置づけをすることを約束するなどタタール人たちを懐柔するようにもなった。


 しかし、タタール人たちのロシアに対する不信は根深く、バフチサライのタタール人の指導者の中にはこのような「アメ」を信じることができないと語る者たちもいた。また、キエフを中心とするウクライナの勢力と同盟することがロシアの影響を断ち切り、彼らの民族的要求の拡大につながるものと考える勢力もいまだに存在する。


 クリミア半島の学校六〇〇のうち一五がクリミア・タタール人のもの、また三校から四校がウクライナ人の子弟専門になっている。クリミア半島の中でもバフチサライだけはロシアの文化的色彩が強くない、タタール人の文化が頑なに守られ、維持されているところだ。



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