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イスラム潮流と日本
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政治・社会
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タタール人が見た明治期の日本の花見

『イスラム潮流と日本』
[著]宮田律 [発行]イースト・プレス


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 ロシアがクリミア半島の併合を宣言してしまったが、そこの先住民族であるタタール人と日本とは、実は歴史的な縁がある。


 日露戦争の頃から第二次世界大戦に敗北するまでの間、日本の国策として、回教(イスラム)圏との連帯が唱えられた。この政策に呼応するように、ロシア革命後の混乱と内戦から少なからぬタタール人たちが日本を訪れたり、亡命したりしてきた。


 その中でもイスハキ(一八七八~一九五四年)は、カザン近くのタタール人村落でムッラー(宗教指導者)の家庭に生まれ、タタール語で新聞記事や小説を世に送り、ロシア革命の状況下でヴォルガ(イデル)=ウラル国家の実現を目指して活動し、その極東での運動基盤の構築を図り、日本を訪問している。


 同じくタタール人で、日本のイスラム研究にも大きな足跡を残したアブデュルレシト・イブラヒム(一八五七~一九四四年)はロシア帝政の反動を逃れて一九〇七年に初めて訪日した。彼はロシアなどヨーロッパ帝国主義の支配を嫌い、アジアの日本にイスラム世界やムスリムを解放する期待を寄せた。彼の考えに共鳴し、支援する日本人たちは彼をその年の春、名古屋市の花見に誘った。



 以下、イブラヒムの著作『ジャポンヤ イブラヒムの明治日本探訪記』(小松香織、小松久男訳岩波書店、二〇一三年)から彼の花見に関する記述を紹介しよう。



 とある水辺の風光明媚な庭園にやって来た。そこでは、たくさんの桜の木が花を咲かせていた。われわれはそこで一、二時間楽しい時を過ごした。春を題材にして演説が行われ、詩歌が朗誦された。


 このあたりは、どの庭園も至るところに人があふれていた。誰もが自分たちの仲間と大声で呼び交わしあっていた。ここで注意を引いたのは、何千人という大集団がいるにもかかわらず、その中に女性が一人のいないということだった。日本人にはベールもなく、シンポした国民であるのだから女性も同行しうるはずである。また西洋式の無礼講もあってよいはずである。しかし、誰もが行儀良く楽しみ、遊び、笑い、時を過ごしている。こうした花見は、日本人にとって非常に古くからの習慣であるという。


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