『宇宙人生 〜新時代の生き方教室〜』
[著]佐藤康行
[発行]ゴマブックス
よく、「私は大したことはない」と思っている人や、その態度のことを〝謙虚〟と言っている人がいる。逆に自分から「自分は素晴らしい人間です」と言う人のことを〝傲慢だ〟と言う人がいる。
慎ましやかで控えめなところが日本人の美徳であり、「私は大したことはない」と振舞う謙虚な姿勢は好感を持たれる場合が多い。
しかし、私は逆の印象を持つことが多いのだ。「私は大したことはない」と思っているなら、それは傲慢だと思えてしまう。「私は素晴らしい」と心から思えることが、本当は最も謙虚なのである。
それは、例えば、ここに車があるとする。「この車は素晴らしい」と言ったとき、この車自体を褒めたとしてもそれだけではなく、車を作った人を褒めた事になるからだ。
では、自分を作ったのは何なのだろうか? 自分ではない。両親がいなければ自分は存在しない。すなわち、自分の両親が作ったといえる。そしてその両親を作ったのはそのまた両親。つまり先祖の人たちに続いていく。
そこには、先祖代々に渡る連綿とした道程が想像できる。それは自然の摂理とも言える。
そうやって突き詰めていくと、この大地や海、地球が、宇宙が、と続いていくことになる。そして、自分を作ったのは、両親を通して、「宇宙が作った」という答えが見えてくるはずだ。ということは、「自分は素晴らしい」といえば、両親と先祖を含めた宇宙、自然の摂理、宇宙の法則を褒めたことになるのである。
逆に、「自分は大したことはない」と言うなら、両親も先祖も宇宙もダメということになる。
自分は自分であって自分ではない。
自分を素晴らしいと思うことは、一番の絶対者である宇宙の法則を褒めたことになるからこそ、最も謙虚なのだ。〝大先生〟を褒めているのだから、傲慢ではなく謙虚なのだ。
大先生、宇宙が作った自分を「大したことがない」と言うのは、自分を自分の所有物と思い込んでいる傲慢などうしようもない人間と言える。
「私は大したことがない」と考えている何十倍も何百倍も、本当の自分は素晴らしいはずなのだ。自分の素晴らしさを実感できない人は、本来の素晴らしい自分がわずかしか出ていないということであり、そこに気づいていない。
そして、自分を素晴らしいと思っているだけではまだ足りない。
私もあなたも素晴らしい、すべてが素晴らしいというようになれば良いのである。宇宙の法則は、自分も周囲の人たちも同じように与えられているのだから、当然、同じように素晴らしいということなのだから。
素晴らしい自分がいることに気づき、受け入れて生きていくと、人生は劇変する。
あなたが「自分は大したことはない」と言っているようなら、気づいた後の人生は百八十度変わるのである。