東郷 若い世代にも多いといわれる嫌中嫌韓、これは嫌米に行き着き得ます。私は合理的に考えると、憲法改正は冷戦が終わった一九八九年頃からの四、五年の間にやるべきだったと思います。歴史認識に関して日本が謙虚に政策をとったときで、一連の歴史認識の反省が高まりました。河野談話が九三年で、村山談話が九五年ですから。内閣は宮澤、海部、細川、村山ときた時期。しかし、いかんせん、絶対的平和主義が強かった。
小島 最近でも野中広務さんあたりは平和主義と憲法改正反対で徹底しています。しかし自民党内で野中さんは孤立して無力感を感じて引退してしまった。