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日航機遺体収容 ―123便、事故処理の真相
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政治・社会
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藤岡を見回る

『日航機遺体収容 ―123便、事故処理の真相』
[著]河村一男 [発行]イースト・プレス


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警察庁対策本部長とともに

 日付は前に戻るが、前日までは上野村に釘づけになっており、遺体確認状況を確認するために藤岡を見回れたのは、五日目の一六日になってからであった。

 それまでは、一三日早朝に遺体確認関係の総括を命じて藤岡に下らせた坂本交通部長に「すべて任す、責任は俺が持つから」と全権を委ねていた。

 当日午前、警察庁の事故対策本部長である山田英雄(やまだひでお)同庁次長の督励視察があった。

 同氏は、部隊運用・警備実施については部内屈指の専門家である。事故発生当夜から全庁の指揮をとっており、こちらの気づかないような点について時折側面的助言をしてもらっていた。大綱的には現地に任せるという鷹揚(おうよう)な方針で、信頼された現場としてはやりやすかった。

 警視庁ヘリでの到着を迎え、村役場内の対策本部での状況報告、激励訓辞という形どおりの行事はできるだけ簡単に終えて、まず済ませてもらったのは黒沢村長と合原師団長への表敬であった。

 どちらの機関もお互いに協力しあって救難活動を進めている仲であるが、後方支援面でずいぶんお世話になっている点があるので、礼を伝えてもらうのが目的であった。

 上野村には多くの機関が入って活動している。ある機関のトップが来ながら村役場を素通りしてひんしゅくをかった例があったが、こうした挨拶をする心遣いが日本的ながら円滑な関係を醸し出していく要因であると思っている。

 コッペパンと牛乳だけの陣中食もそこそこに、山上の墜落現場へ飛ぶ。

 ヘリを降り、まず尾根を上に向かってバツ岩までのぼり、南斜面と北西斜面を展望してもらう。

 目につく遺体はあらまし収容し、藪のなかや土中の離断体の捜索にウエイトが移ってきた段階だったので、毛布包みの遺体が仮設ヘリポート付近に集められて搬出を待っているほかは、散乱している無数の残骸片が視野に入るだけであった。

 元の地点まで下り、さらに北斜面を下る。

 水平差二二〇メートル、垂直差一一〇メートル、平均斜度三〇度の大斜面の谷底は、生存者が発見されたスゲの沢第三支流である。肥満型の山田次長にはきつい斜面であるが、途中まで下がって、谷底の作業を遠望してもらう。

 再度ヘリに乗り、藤岡に飛ぶ。

 臨時ヘリポートの藤岡第一小学校校庭では、先着したばかりの自衛隊機から消防官が毛布包みの遺体を降ろす作業をしている最中であった。

 出迎えてくれた坂本交通部長の説明によれば「用意した棺に仮に納め、霊柩車で検視場所の市体育館まで移動させているのだが、前日までは検視床の回転が間に合わず、同校体育館に一時仮安置して順番を待った」とのことであった。

 最後の視察場所は検視所に充てた藤岡市体育館。

 外部から覗けないように黒い暗幕を張り巡らした異様な雰囲気のなかで、数体が検視中であった。
「昨日までは二二面の検視床全部が深夜まで埋まっていたのだが、ようやく峠を越えた感じがする」との報告であった。

 帰京する山田次長を第一小グラウンドまで見送って、再び体育館に戻る。

 
藤岡総括担当部長と意見交換

 坂本交通部長とは、一三日朝「藤岡のことはすべて任せるから」と送り出して以来、通信事情が悪かったこともあって、ゆっくり意見を交わすことができていなかったので、話し込んだ。

 信頼してすべて任してあるのだから、こちらからあれこれいうことはないのだが、多くの関係者を相手に気の重いこともあった様子である。

 彼との意見交換の主な点は、次の四点であった。

 第一は、それまでの状況のとりまとめである。

 藤岡に下りて、まず吉野益(よしのます)藤岡市長と相談し、体育館、武道館の二棟の使用許可をもらった。

 武道館を遺族の応接に、体育館を検視と遺体安置に充てることで準備を進めていたが、実際に運び込まれる遺体の多さに、体育館だけでは安置しきれなくなってきた。

 急遽、市内の高校体育館を開放してもらい、身元確認のできた遺体の安置所一箇所を増やしたということであった。

 第二は、遺族待合所対策である。

 遺族の世話は、日航が当たっている。その大半は市内の五つの小中学校に分散して、確認を待っていた。

 連絡がうまく届かずいらいらが強まっているので、一待機所当たり二名の警察官を派遣し円滑化を図った。ところが、彼らははかがいかない日航への怒りの矛先をぶつけられて困っているようであった。

 第三は、検視済み遺体の遺族への公開である。

 前日までは搬送されてくる遺体の数が多く、検視の終了が翌朝近くまでかかっていたが、ようやく峠を越え余裕も出てきたので、遺族が直接遺体を見ることができるようにと考えた。

 場所が狭いので、とりあえず一巡は一遺族につき代表一名と提案したところ、うまく意が伝わらなかったのか、猛烈な反発をくった。「これ以上感情がこじれてもいけないので、二名までに増やすことにしたい。その代わり、時間がかかるのはしかたがない」とのことであった。

 第四は、遺体の解剖である。

 これは私のほうからの質問で、その時点で乗員二名、乗客一名であった解剖をもう少し増やす必要はないかと尋ねた(後に確認された乗員二名を追加)。

 外見的損傷は十分に把握できても、内臓の損傷状況は解剖なくしては解明できず、それによって航空医学上貴重な資料がえられるからである。

 坂本の答えは「とてもそれをいい出せる雰囲気ではない」というものであった。諦めざるをえなかった。

 
遺族待合所で

 ついで、遺族待合所を回る。臨時の公衆電話が設置されているなど、いろいろな便宜が図られているが、じっと待つほかなく悄然(しょうぜん)とした遺族の姿は、痛々しい限りである。

 日航の詰め所近くで責任者として来ているらしい同社役員から挨拶があった。つらい役回りだが気の毒にともいっておれない。

 そのとき垣間見た光景であるが、若い職員の緊張感のない態度と夕食らしい食事の豪華さに、憮然(ぶぜん)とした気持ちになったのを覚えている。世間ずれしていないからであろうが、いかにも場ちがいな感じで、羽田から運んで来たと思える豪華な弁当は元来遺族用のものであろうが、それにしてもやっと調達できた警察官用の粗末な弁当との格差のあり過ぎること。同じ場所近くで食事をとる若い警察官に相済まぬ気がしてならなかった。

 確認済み遺体安置所の県立藤岡高体育館に回ったとき、印象に強く残っている光景。

 一つは、確認できたばかりと思われる棺の周りに、涙で目を腫らした遺族の一団、明日の火葬手続きを待つのであろうが、未確認もまだ多いなかで、やっと確認できたという安堵半分も見てとれる。

 二三日午後巡回したときのこと。十数個の棺のなかに小さな幼児用の棺が目についた。白布の上にいくつもの縫いぐるみが、生花とともに置かれている。

 Eと書かれてあった名前を今もはっきり覚えている。

 坂本の説明によると、二歳の女の子で、母親と一緒の搭乗であった。前日確認されたが母親が未確認で、葬儀を一緒にしてやりたいという遺族の希望で、未確認の母親を待っているのだという。母親の確認は一週間後であった。

 最後に藤岡署を督励する。

 会議室、道場では警察庁鑑識課、科学警察研究所から応援に来てくれている指紋・法医学の専門家たちが忙しそうに動いており、(ねぎら)いの言葉をかける。ここは、後方支援に近い分野の集団であるが、ある種の緊張感が(みなぎ)っている。戦場に近い部署もきっとこのような雰囲気であったのだろうと思った。

 藤岡署を出たのは、夕暮れであった。緊張が弛んでしまったのか、上野村まで一時間余の車中はぐっすり眠っていた。その後も、移動の車中だけが休息の時間となった。
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