読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/9/29 UP)

犬耳書店は、姉妹店のRenta!(レンタ)へ統合いたします。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-1
kiji
0
1
1051579
0
悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾
2
0
20
0
0
0
0
エンタメ
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
宇多田ヒカル、母への追悼

『悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:6分
この記事が役に立った
20
| |
文字サイズ


 宇多田ヒカルは、母・藤圭子の死について、「8月22日の朝」というタイトルで、自らのオフィシャルサイトに次のようなコメントを寄せた。
『8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。

 様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

 彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

 幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何もできませんでした。

 母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

 誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

 母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 沢山の温かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました』


 宇多田照實も、「ご報告と謝辞」というタイトルで、八月二十六日に次のコメントを寄せた。
『この度の故宇多田純子、投身自殺に於きましては、各方面の関係者の皆様、歌手藤圭子の大勢のファンの皆様、そして宇多田ヒカルのファンの皆様に多大なご心配と世間をお騒がせしていることに対して、所属事務所代表として、また25年間連れ添った元夫として心からお詫びを申し上げます。また、宇多田ヒカル並びに僕に対して沢山の心の籠った温かいお言葉、お悔みをいただいたことに対しては、この場を借りて感謝の意を表明させていただきます。

 通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従い、執り行わないことにしました。

 出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応できる範囲と捉えていました。

 この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。

 しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。

 直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました。

 そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、「元気?」という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした。

 最後に僕が純子と会話をしたのは今年の8月14日でした。純子からでした。この時は珍しく明るい口調で、元気そうな純子の声でした。約8分間、世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承し電話を切りました。その8日後の自殺となってしまいました。

 純子として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです。

 これまで宇多田純子を、藤圭子を愛情を持って見守ってくださった方々全員に、本人に代わり、心から感謝いたします。ありがとうございました。

 純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています』


 宇多田ヒカルは、母・藤圭子の自殺から五日後の八月二十七日の午前八時頃、藤が安置されていた碑文谷会館に、宇多田照實と到着した。ヒカルが藤の自殺後、報道陣に姿を見せたのは初めてだった。

 ヒカルは、母とのお別れの場に、黒のシャツとグレーのパンツ姿で訪れ、フォーマルな喪服は着用していなかった。幼少期からアメリカでの生活が長いからなのか、葬儀を行わないからなのか、理由は定かではないが、いずれにせよ、自由な発想で、音楽界の常識を超えた活躍を見せたヒカルらしいスタイルだった。ちなみに照實はスーツを着用していた。

 約四十分間、親子三人水入らずで過ごした。同八時四十分、数人の関係者や照實と棺を抱え、霊柩車に乗せると、カメラの放列にじっと耐えながら斎場を出た。ヒカルは、藤の棺を乗せた霊柩車の助手席で、やせて憔悴しきった表情を見せた。終始伏せた瞳は潤み、真っ赤だった。白い菊の花束を大事そうに抱いていた。

 のちに、宇多田ヒカルは自身のツイッターで、出棺の際の心情をこう吐露している。
「カメラが乱暴にごつごつとぶつかる音、フラッシュ、投げかけられる質問… ママだったらこんな時泣かないと思って必死に涙堪えたんだけど、ほんの一分が永遠のように感じられて心の中でずっと『どいてください、どいてください』って叫んでた」

 午前九時、火葬場のある桐ヶ谷斎場に到着し、荼毘に付された。

 その後、同十時四十分ごろに照實とワンボックスカーで斎場を後にすると、港区内の自宅に帰った。

 藤が残した遺志に従い、通夜・葬儀は行わなかった。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
20
残り:0文字/本文:2558文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次