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悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾
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エンタメ
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旅芸人の子に生まれて

『悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


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 藤圭子は、昭和二十六年七月五日、岩手県の一関市で生まれた。

 父・阿部(つよし)二十八歳、三味線()()の母・澄子二十二歳の次女であった。純子と名づけられた。

 彼女が生まれるころの阿部家の生活は、もっとも貧困の中にあった。臨月のおなかをかかえた母親は、ふつうなら体を休めていなければいけないというのに、ドサ回りの巡業スケジュールがぎっしりと詰まっていたこともあって、旅から旅への生活をつづけていた。のちに、藤が父親から聞いた話だと、東北巡業で汽車に乗っている最中に陣痛が起こったのであった。

 父・壮は、あわてて六両編成の汽車の中を、産婆さんを探してかけずり回ったという。

 陣痛が起きてから約二時間後に、純子は一関市の病院でこの世に産声をあげた。

 約三千三百グラムの赤ん坊は、女の子なのに変わった泣き声で、ワアワアと低くかすれた、まるでカラスでも鳴いているような不思議な声だったという。藤圭子独特のダミ声のような、つぶれた声は生まれつきであった。

 純子には、姉の富美恵、のちに藤圭子がデビューするや藤三郎の芸名で演歌歌手となる兄の博がいた。父母は旅から旅への浪曲巡業なので、姉と兄は、一関の父方の実家に預けられていた。

 北海道旭川市内の八畳二間のアパートに移り住んだ壮は、子供たちを引き取り、松平国二郎という芸名で、六人ほどの座員をかかえていた。が、短気で一本気な壮は、座員をしょっちゅう怒鳴った。
「てめえらの芸はなんだ! そんな浪花節で、一人前の芸人か……」

 カッとなると、手も早い方であった。そのせいで、ひとりふたりと去り……気がつくと、最後に残ったのは夫婦ふたりだけとなっていた。

 村から村へのドサ回りで、その舞台も急ごしらえの寺の本堂とか旧家の大広間ばかりだった。

 したがって収入も少なく、文字通りの赤貧生活であった。そのころの両親の稼ぎは二時間半ほどの公演で、八百円から千二百円。北国の旅巡業は真冬でも続けられていた。

 純子が五歳のとき、(のちに「フラガール」で有名になる福島県いわき市内にあった)常磐炭鉱に仕事で父母の門付に同行したときである。

 島倉千代子の『この世の花』が大ヒットをしていたころ、純子は母親のかけた蓄音機に合わせて、ひとり勝手な手ぶり、身ぶりで『この世の花』を踊った。ほんの座興のつもりで母親が純子を、そそのかして舞台にあげた。これが藤圭子、生まれて初めての舞台となる。

 生まれつきの芸人の子が持って生まれたクソ度胸とでもいうのであろう。純子は、小さなからだを縦横に動かして踊った。
「うめえぞォー、うめえぞォー、ねえちゃん。やれ、やれ! こんどは歌、唄えよ」
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