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遺品整理屋は見た!!天国へのお引越しのお手伝い
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雑学
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【第1話】私宛の遺書 責任感が強く、真面目な故人が残していったものとは?

『遺品整理屋は見た!!天国へのお引越しのお手伝い』
[著]吉田太一 [発行]扶桑社


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 「血の痕と死臭がひどいんです。いまから来ていただけませんか?」

 せっぱ詰まったその声に、私は壁の時計に目をやりました。

 すでに夜八時を回っています。おそらくもう従業員たちは帰ってしまっているはず。となると……自分が行くしかない。私は、これも縁だと自分に言い聞かせ「わかりました」と返事をしました。

 「一時間後でしたらうかがえますが……」

 「お願いします。私は警察のほうに行かなければならないので、大家さんに声をかけて清掃と消臭の作業をしておいていただけませんか?」

 「後で、いらっしゃるんですね」

 「今日は行けそうにないので、作業が終わったら大家さんに確認していただいて電話ください。後のことは明日電話で打ち合わせさせてもらえるとありがたいんですが」

 「それはかまいませんけど、料金も発生することですし、見積もりの金額もご了承していただかないといけませんので、作業前にご確認いただきたいのですが……」

 「どれくらいの費用がかかりそうですか?」

 「いまの時点では、現場を見ていないのでなんとも言えませんが二十万から三十万ほどかかる場合もございますしね、死臭がきつい場合ですとさらに消臭作業に二週間の時間と別途費用も発生するかもしれませんが、ご了承いただけますか?」

 「それくらいの費用はかかると思っていましたのでよろしくお願いします。とにかくご近所にご迷惑がかかっているようなので、できるだけ早急に処置をお願いしたいと思って」

 私は、現場モードに気持ちを切り替えて返事をしました。

 「わかりました。では、本日は清掃と消毒と死臭の除去をして、後日家財の撤去を含めた作業を行わせていただくということでよろしいですね」

 現場となったマンションはまだペンキやコンクリートの匂いがする新築の物件でした。その三階の一室が今回の現場です。

 大家さんに借りた合い鍵でドアを開けたとたん、室内に充満していた死臭が一気に私の顔面に押し寄せ、私は思わず顔をそむけドアを閉めました。

 「臭いには慣れっこ」だとさんざん豪語していたではないかと思われる方もいると思いますが、今回の臭いはいつもの死臭とは違っていたのです。腐乱臭のような鼻をつくような臭いではなく、なんとも形容しがたい生臭い臭いでした。

 故人が発見されたのは死後四日。首つり自殺でした。クーラーがきいていたからか腐乱臭はなかったのですが、遺体がぶら下がっていた真下の床にしたたり落ちた血液と一見サラダ油のような体液がその臭いの発生源だったのです。

 現場に入るときは、すでに死臭に対応する態勢が整っているのでショックはないのですが、今回の現場でかいだ臭いは想定外だったので鼻がとまどってしまったのです。

 麦茶だと思って飲んだら薄いアイスコーヒーだった。そのときの驚きはちょうどそんな感じでした。まさに不意を突かれたのです。

 ワンルームの室内はとてもきれいに整理整頓されていて、故人の几帳面な性格が表れているようでした。部屋の突き当たり右に置かれたベッドの脇に押し入れがあり、その押し入れのいちばん上の段の仕切りにロープをかけて……ということのようです。

 ベッドと押し入れに足をかけ、そのロープをほどきながら私は、自分がこの仕事にすっかり慣れてしまっていることをいまさらのように実感しました。たったひとりで自殺現場にいることに対してなんの抵抗も感じていないのですから。

 こんな仕事をしていなければ掃除はおろか、部屋の中に足を踏み入れることですら無理だったと思います。

 ロープを片づけたら、床に広がる体液を大量のトイレットペーパーに吸い込ませて、それをトングやチリ取りを使ってビニール袋の中に入れていきます。液を拭き取ったら次に特殊な洗剤をまいてデッキブラシで凝固しかけている血液をこすり落とし、それをまたタオルで拭き取っていきます。

 床の上に四つんばいになり、血液でみるみる赤くなっていく雑巾を忙しく動かしながら、ふと自分はどうしてこんなことをしているのだろうと考えていました。

 「こんなことはしたくないのに」とか「仮にも自分は社長なのに」といった意味ではなく、普通こんなことを仕事にする人はあんまりいないだろうなあ。なのに俺はこれを自分の仕事にしているんだよなあという、正直な感想というか感慨なのです。

 床が周囲と変わらぬ色とつやを取り戻したら、仕上げに消毒液を散布して作業は終了です。けっきょく作業は二時間ほどで済み、日付が変わる前には帰社することができました。

 それから四日後、家財整理の見積もりをするために私は再びそのお部屋を訪ねました。そこにはすでに、葬儀を終え荼毘に付された故人が遺骨となって戻ってこられていました。そのとき初めてお会いする故人のご両親は、気丈に振る舞っておられましたが、私がお見積もりの話をしていますと、突然お母様が「すみませんけど」と消え入りそうな声で私にこうおっしゃったのです。

 「本人が遺書を残していってるんですが、読んでやっていただけませんか? これは本人の気持ちなんです」

 そう言うとお母様が、四つ折りにされた便せんを私のほうに差し出しました。

 「えっ!」私は一瞬絶句しました。

 「私が、遺書を私が読むんですか?」

 「ええ、本人の意思なのでよろしくお願いします」

 私は、おそるおそる遺書を開いてその文面に目を通しました。

 『○○さん、○○様。そして警察の方、管理会社の方、清掃してくださる方。私の勝手な行動でご迷惑をおかけしてすみません。お手数をかけますがなにとぞよろしくお願いします……』

 最初から最後まで、感情を抑え淡々とした文章でしたが、胸に迫るものがありました。その遺書を読み終え、お母様のお顔を見たとたん、私の目から涙が込み上げてきてしまいました。その場に立ち会っていた管理会社の方も同じ気持ちだったと思います。何か言おうとしても言葉にならず、黙ってうなずくことしかできませんでした。

 自分の死を目前にした人間が、ここまで冷静な文章が書けるものなのでしょうか。書いているときは、いったいどんな心境だったのでしょうか?

 凡人の私には、わかりません。ただ、よくわかったのは故人がとても責任感が強く真面目な方だったということでした。

 ご家族に宛てた遺書もあったようで、お母様のお話では息子さんは、仕事に行き詰っての自殺のようでした。

 二十八歳で独身の男性のひとり暮らし。

 新しい職場に移ってまだひと月足らずの悲劇だったそうです。仕事はよくできるほうで、その会社にもヘッドハンティングのような形で転職が決まったそうです。しかし年齢が若いせいもあり、片方では自分の存在感を示さなければならないのと同時に、部下となった社員との間に摩擦が生じてそれがストレスになっていたらしく、お父様にもいちど相談の電話があったとのことでした。

 日本では、何年ものあいだ連続して自殺者の数が三万人を超えていることは誰もが知っています。しかし、それが自分の身内の中から出ることを想像できる人がどれだけいるでしょうか。おそらく息子の自殺を食い止めることができなかったお父さんは自分を責めたことと思います。いくらわが子でも、離れて暮らしていればその兆候に気づくことはなかなかできないのではないでしょうか。

 翌日、ご両親は日本海の離島に遺骨となったわが子と一緒に帰っていかれました。

 本当に自殺しなければならない人間なんて世の中にひとりもいないと思います。故人に誰かひとりでも悩みを打ち明けられる近しい友人がいれば、今回の悲劇はなかったのかもしれません。二十八歳の若さで自らこの世を去った故人のご冥福をお祈りいたします。

 いま世間では“自殺”という言葉に代わって“自死”という表現が使われるようになってきました。自害、自決、自尽、自裁などという表現も使う方もおられますが、亡くなった故人を尊重すると同時に、自ら死を選んだというその選択を認めてあげようということだそうです。しかし、その呼び方はどうであれ、残された遺族が激しい悲嘆の感情に飲み込まれることに違いはありません。日常生活に支障をきたしてしまうことも往々にして起こるのです。ひとりの自死者の背後にはその何倍もの数の(約五倍といわれています)遺族がいて、立ち直るのに何年もの時間を要するのです。

 息子さんを亡くされたこのご両親が、悲しみのどん底から一刻も早く立ち直ることを願ってやみません。
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