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プロ野球にとって正義とは何か―落合解任と「プロの流儀」vs.「会社の論理」
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プロローグ プロ野球にとって正義とは何か

『プロ野球にとって正義とは何か―落合解任と「プロの流儀」vs.「会社の論理」』
[著]手束仁 [発行]イースト・プレス


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「プロにとっての正義」と「会社にとっての正義」


 日本(にほん)のプロ野球は、ここ十数年の間にとてつもなく大きな変化を遂げている。それはソフト、ハードの両面においてのことである。

 新球団が誕生したという現象だけではなく、かつて1960〜1980年代のプロ野球全盛期には、その発想すらなかった北海道(ほっかいどう)東北(とうほく)にフランチャイズを置くチームも現れた。さらにはセ・リーグとパ・リーグの交流戦が実施されるようになった。また、クライマックスシリーズの導入などでポストシーズンもさらなる盛り上がりを示している。

 その一方でスター選手が相次いで海外へ流出するという現象も起きている。

 こうしたプロセスを見つめながら、われわれの中にはプロ野球も会社として運営されているという認識がより強く浮き彫りにされてくるようにもなった。

 会社という立ち位置からプロ野球を見つめていこうとすると、組織として成り立っているプロ野球の世界が見えてくるようになる。

 会社のために一所懸命に働いてきたのに、突然はしごを外される……。そんな経験は、働いている人間なら誰にでも起こりうる話である。

 はしごを外されるとまではいかなくても、会社の待遇に対して報われない思いをしている人も多いであろう。

 とはいえ、じつはプロの仕事の現場は毎日が理不尽なことであふれている。

 2011年オフに、プロ野球界が震撼(しんかん)した二つの事件を見るにつけ、そんな思いを強くした。

 ひとつが、シーズン終盤にマスコミを騒がせた「清武(きよたけ)の乱」。清武英利(ひでとし)GMが、親会社の読売(よみうり)新聞社の最高権力者・渡邉恒雄(わたなべつねお)会長兼主筆の「鶴の一声」に反発して、記者会見まで開いて訴えた、あの騒動である。

 もうひとつが、その巨人(きょじん)と毎年のように優勝争いを繰り広げて名将とまで呼ばれた中日(ちゅうにち)ドラゴンズ・落合博満(おちあいひろみつ)監督の突然の解任発表である。

 この二人が辣腕(らつわん)を振るった2000年代後半のプロ野球。世の中は弱肉強食の新自由主義が市場を席巻(せっけん)した、いわゆる「小泉(こいずみ)改革」への反省から、「国民の生活が第一」を標榜(ひょうぼう)して選挙に圧勝した民主党政権への転換期でもあった。さらに2011年3月11日の東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)によって国民の(きずな)の重要性が叫ばれるようになり、新自由主義では危機に対応できないことが誰の目にも明らかになった。

 巨人の「清武の乱」の場合は、渡邉会長主導の巨大補強一本槍(いっぽんやり)の戦略から脱却した、清武GM主導の育成重視、生え抜き至上主義でのチーム強化が、渡邉会長主導の旧来の勢力に押しつぶされたという出来事であった。これは、民主党内で消費税アップを凍結した勢力が権力の座を追われ、消費税アップを目論(もくろ)む旧来の財務省勢力のバックアップを受けた野田佳彦(のだよしひこ)が首相の座にのぼりつめた現在の政治の状況と似ている。

 最終的には企業内の内輪もめを表に出したという行動が批判を受けた結果になってしまった。とはいうものの、心の中では清武GMの行動に拍手を送ったプロ野球ファンも多かったのではないか。

 一方で、あまり同情を受けることがなかったのが落合である。

 たしかに8年連続Aクラス、優勝4回、日本一1回という記録は中日の球団史上、類を見ない快挙である。しかし、その裏では「勝つことが最大のファンサービス」とのコンセプトのもと、成果主義、秘密主義が徹底された。どんなに有力なOBでも指導者としての能力がなければ排除され、実力を買われた外様(とざま)コーチがその任にあたった。

 実績のある主力選手からは「野球に専念できたのでよかった」との声は聞かれた。しかし、ドラフト戦略や若手育成の面では批判の声が多かった。実際に8年間の落合政権で選手層が薄くなり、慢性的な得点力不足という問題が解消しなかったのも事実だ。

 落合の判断はプロ集団の現場の責任者としては正しかったかもしれない。しかし、勝ち続けてきたとはいえ、深刻なファン離れと人件費の高騰が球団経営を圧迫した。その結果として、「落合切り」と、ファンからもOBからも圧倒的な人望を誇る高木守道(たかぎもりみち)監督の就任へとつながった。これはまさに、新自由主義から絆を重視する国民性への変化に沿ったものといっても過言ではない。

 いずれにしても、「プロにとっての正義」と「会社にとっての正義」の間に大きな溝ができた瞬間に具現化した現象といえるのではないか。


もしドラッカーが落合中日をマネジメントしたら


 2010年に200万部を超えるベストセラーとなった「もしドラ」こと『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海(いわさきなつみ)、ダイヤモンド社)をお読みになった読者も多いだろう。

 もしドラッカーが生きていたら、落合のことを評価しただろうか。

 おそらく「NO」を突きつけただろう。

 ドラッカーは『マネジメント』(邦訳・ダイヤモンド社)で、「本書は『社会的責任』と『利潤』との間には、いささかも基本的対立のないことを主張している」と述べている。

 現在、ドラッカーが予見したとおり、21世紀の多くの企業は利潤を追求するだけではなくなってきている。社会道徳に(のっと)って多方面の利害関係者に責任ある行動をとらなければならないとされているのだ。

 もしドラッカーが落合中日のGMを務めていたら、若手選手のモチベーションのアップや、過去に球団に貢献してきたOBの処遇などにも配慮した仕組みをつくり、落合の勝利至上主義とうまく融合させ、解任の悲劇を回避できていたかもしれない。

 この「社会道徳と利潤」のテーマは、「白熱教室」で知られるハーバード大学のマイケル・サンデル教授も議論の舞台に取り上げている。新自由主義と正義との矛盾を突いた『これからの「正義」の話をしよう』(邦訳・早川(はやかわ)書房)は、「もしドラ」と同時期にベストセラーとなっている。

 ちなみに、サンデル教授は東日本大震災で中止になったものの、東京(とうきょう)ドームでの巨人戦の始球式に登板予定だったほどの野球ファンだ。少年野球のコーチを務めていたころ、自分のチームメイトのエラーをカバーしてアウトをとったとき、スニッカーズ(チョコレート)をチーム全員に振る舞ってモチベーションを上げていたことがある。

 勝利至上主義からファン重視に大きく(かじ)を切った中日球団は、「利潤」一辺倒から「社会的責任」へと転換した。その意味では、ドラッカーやサンデル教授の理論に則った決断を下したといえるのではないか。

 ただ、実際に落合や中日球団が実際にそこまで理論的に動いていたかどうかはわからない。彼らはただ「プロにとっての正義」と「会社にとっての正義」を貫く形で行動していただけだからである。

 私はこれまで長年にわたって高校野球を取材してきた。その中で有望な選手をチェックしに来るスカウト陣との交流も生まれた。そのほか、多くのフロント関係者の知遇も得た。本書では、そんな球団関係者の取材や交流の中から見えてきた「落合解任」の舞台裏と、フロントと現場の関係をひもといていきたいと思う。

 また、高校野球取材を通じて、さまざまな県民性に触れていく中から、古き伝統を重んじる尾張名古屋(おわりなごや)という保守的な風土も多分に影響していたものと感じている。その点に関しても、あとのほうの章で分析していきたい。


プロ野球球団は何を追い求めるべきか


 2003年オフに中日の監督に就任すると、1年目でチームをいきなりリーグ優勝させた落合博満監督。三冠王を3度も獲得した選手が、初監督でいきなり優勝を果たして、「名選手、必ずしも名監督にあらず」という球界のジンクスをあっさり覆した。

 以来、中日の監督として8年間。リーグ優勝4回、2位3回、3位1回と毎年Aクラスを維持している。2007年には2位からのクライマックスシリーズを勝ち上がって、悲願の日本シリーズを制して日本一にも輝いた。

 もちろん中日球団史上、最高成績を残した監督であった。

 ところが、2011年9月、チームが優勝争いで2位につけてヤクルトを急追している真っ最中に突然、「落合監督、今季限りで退任」と球団が発表した。

 多くの中日ファンは翌シーズンも当然、落合体制で臨むのではないかと思っていたところだった。しかし、球団としては、過去最高の成績を上げ続ける落合を、なんとか8年目のシーズンで解任したいと思っていた。そうせざるをえなかった背景には何があったのか……。
「勝てばファンが喜ぶ」ということを信じて、プロ野球の球団はチームを強化してきている。そして、ファンが喜べば、球場にも足を運んでくれる数が増え、経営的にも潤っていく。こうした図式を球団経営者は描いている。

 ところが、勝って結果を残しても、勝つことが当たり前になっていくと、今度はファンは「おもしろい野球」を求めていくようになる。つまり、今度は「おもしろくて勝つ野球」を求めていくようになる。

 ただ、いまの野球を突きつめていけば、現実には確実に勝つ野球を追求していくと、傍目(はため)の「おもしろさ」からは遠ざかっていくのもたしかである。落合中日の8年間は、そんな現実を見せてくれたのではないか。

 結果、中日は8年間で落合監督との契約を打ち切り、継続しないことにした。3年契約の3年目であり、区切りとしてもちょうどいいところであったのもたしかだ。

 落合は、そのことについては、例によって表情を変えないまま、
「契約とはそういうもの」

 と淡々と語っていた。ただ、勝負師としては勝って結果を出していただけに、契約を継続していくものという腹づもりもあったのではないだろうか。その答えは表情に出さなければ出さないだけ、どこか(むな)しかった。

 スキャンダルがあったわけでもなければ本人の体調不良でもない。明快な理由がないままの解任である。傍から見れば衝撃的でもあり、不可解といえば不可解な要素を残したままの解任劇とも映った。

 じつは、その背景には、球団の経営事象を含めて複雑な問題が絡んでいた。

 その真相は……。果たして「契約」という理由だけだったのだろうか。

 落合が貫き続けた「オレ流」とは、なんだったのか。

 いったい、プロ野球の求めていくべきものはなんなのだろうか。勝つことがすべてなのか。それとも、勝つことだけではない、もっと違う別の何かが存在するのだろうか。プロ野球経営とは、その勝つことだけではない「何か」を求めて突き進んでいくものだろうか。

 そして、本当の意味でプロ野球のファンサービスとはなんなのか。公共財ともいわれているプロ野球。もしかしたら、庶民の娯楽としては成熟しすぎて、本来の形を変えていっているのかもしれない。

 成熟しすぎたことによって、ファンが求めるものも異なってきた。必ずしも試合の勝ち負けに一喜一憂するわけではなくなってきた。ファンも一緒になって球団経営を考え、意識していくようになったからこそ、球団の人事や内紛に対しても敏感になってきている。そんな折の読売グループの騒動は、別の視点からファンの興味を刺激するものとなった。

 メディアもそのことをことのほか大きく取り上げてセンセーショナルに「清武の乱」などと報じた。

 考えてみれば一組織の内紛である。それがその年のプロ野球日本一を決定する戦いよりも大きく報じられてしまうという現実にも、あらためて「プロ野球は誰のものなのだろう」という気持ちになってきた。

 そして、「プロ野球の正義とは何か」……そんな疑問も湧いてきた。

 それでも、プロ野球は娯楽(ごらく)として、やはり多くの人の興味を維持している。そして、その勝敗に一喜一憂して、ひいきチームの勝利や応援している選手の活躍に元気をもらっている。

 そんなプロ野球の理想とはなんなのだろうか。ファンとして、そして野球を愛し続けている者として、そこに見え隠れするものを、今回の落合解任という事実を見つめながら追い求めてみた。
手束(てづか) (じん)
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