【人間に与えられた天命とは?】
元来、人がこの世に生まれてきた以上は、
自分のためのみならず、
必ず何か世のためになるべきことを為すの義務があるものと余は信ずる。
すなわち、人は生まれるとともに天の使命を享けておる。
◆自分の利益より社会の利益を優先した、渋沢の「大我の人生」
人は、自分の意思で生まれたのではありません。直接的には父母のおかげで生まれてきました。しかしもっと深いところで、大きな意思がこの世に自分を誕生させたのではないでしょうか。渋沢は『青淵百話』のなかで、次のように言います。
「造物主なるものがあって、何事をか為さしむべき使命を与えて、己をこの世に現した」
と。自分が生まれたのは造物主の意図によるものであり、天の使命を与えられて生まれてきたということです。
にもかかわらず、天から与えられた使命を自覚せず、自分の人生を自分のためだけに生きるのでは、小我の人生で終わってしまいます。
そうではなく、生まれてきた以上は、天から与えられた使命を自覚することです。そして、みずからの責任において、天の使命を果たしていくことです。渋沢は、世のために生きるという使命の自覚から、
「社会の事、公共の事にはできるだけの貢献をなし、その使命をまっとうしたい」(同前)
と一身の利益をかえりみず、大我の生涯を送りました。
【天命にかなった生き方とは?】
人間の本分を尽して、
あくまでも自己の働きによって倒れるまで力め、
それ以上は天命に俟つべきである。
◆「自分の本分」を全うするのが、人間の天命である
本分を尽くすというのは、天から与えられた使命を自覚して、これを倒れるまでやり尽くすということです。人力がおよぶかぎり、やって、やって、やり尽くすのです。
では、そこまで力を尽くせば、あとは天がバトンタッチして、いい方向に導いてくれるのでしょうか。