二日目の二四日は、前日に宿泊した一関市から気仙沼港へ移動。いよいよ被害が大きい三陸海岸エリアへ訪問だ。この日は気仙沼市大島選出の市会議員・菅沼博信さんと港で待ち合わせをしていた。
震災直後からテレビや新聞で気仙沼市の凄惨な被災状況を度々目にしていたため、とにかく現地の状態が気がかりでならなかった。しかし途中で立ち寄ったコンビニには、都内と同様に商品が整然と棚に並び、ガソリンスタンドもいたって普通に営業している。
「ニュースでは報じられていないけど、実は復興作業は急ピッチで進んでいるのか??平和そうに見える町の様子を見て、僕は安直にこう考えていた。しかし、気仙沼の市街地を数分走り、ある路地を曲がったところで辺りの様子が激変。そこにあるはずの街並みはすべて消失。がれきに埋もれてしまっている。
「!? !?」
さっきまでは、コンビニに整然と並ぶ商品群を見ていたはずなのに……。あまりの光景に脳がフリーズしてしまったのか言葉が出てこない。ただ、僕が訪れたときは震災から二か月以上経っていたため、道路上にあったのであろう瓦礫は除けられていて、地元の方も自衛隊も車での移動はスムーズにできているようだった。そこには懸命の努力があったのだろう。
港に着くと、そこにはさらに強烈な光景が広がっていた。全長五〇メートル以上、重量一千トン以上はあるであろう巨大な船が、何隻も陸に乗り上げていたのだ。どんな動力を使えば、これらの船を海に戻せるのか見当もつかない。それどころか、全景を見渡すことさえできない……。
ほどなくして、何かがおかしいことに気がついた。そう、地震による地形の変化で、港と海面の水位がほとんど同じ高さになってしまっているのだ。このままでは大潮になったり、台風の時期に万一、高潮がきたりしたら、港町は再び水没してしまいかねない。これ以上の被害を増やさないためにも、早急な護岸工事が必要だろう。
そんな気仙沼港の様子を呆然と眺めていると、菅原議員が船で迎えに来てくれた。市会議員と聞くと、パリッとスーツを着て背筋の伸びた人を想像していたのだが、現れた菅原さんは長靴に野球帽というラフな出で立ち。