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歴史通は人間通
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13 どう生きるか

『歴史通は人間通』
[著]渡部昇一 [発行]扶桑社


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◎志を立てる

 私たちにとって、一番大きな「生きがい」は何だろうか。人によってさまざまであろうが、ただ食うために働き生きていくのではなく、自分が本当にやりたいことをやり、真に人間らしい一生を送ることであろう。

 その意味で、一番大切なのは、ます“志を立てる”ということだ。

 自分は何がしたいのか。自分は何になりたいのか。何をもって自己実現し、社会に尽くしたいのか。まず、それを見極めることである。

   『すごく「頭のいい人」の生活術』

◎自分のなりたい姿

 これからの社会は、「自分で自分の志を立てるよりほかに仕方がないんだ」と悟った人は、時々静かな時間を持って、自分の本音に耳を傾ける習慣をつけたらいい。

 これはわざわざ何時間も取る必要はなくて、出勤や散歩の途中でもかまわない。そのうちにかすかなつぶやきが聞こえるだろう。最初はその声音は低くても、しだいにはっきりと聞こえてくるはずだ。

 そして、その声がますますはっきりしてきたら、それを具体的に頭の中にイメージしてみる。そうすると、自分のなりたい姿、あるいはやりたいことを成し遂げつつある自分がはっきりと見える瞬間が来る。

 その時、背筋のあたりがゾクゾクするかもしれない。それは自分にひそんでいる潜在能力がうずいているのだ。それは神様からのメッセージであると言ってもよい。「お前の本当にやりたいことはこれだよ」というご託宣(たくせん)に違いない。この神様のメッセージは、ふだんなら見えないチャンスを我々に教えてくれる。

   『すごく「頭のいい人」の生活術』

◎内なる声と志

 内なる声につき動かされて一つの志を達成すると、また次の知的刺激に心が奪われる。一つのことに満足できず、次から次にやりたいことを見つけ、苦労をいとわずそれを達成していって、どんどん大きくなっていく人もいる。そうやって大きな自分をつくっていくことが、人生の目的と言えるのではないだろうか。

 佐藤一斎はこう言っている。


  一燈を()げて暗夜を行く。

  暗夜を(うれ)うること(なか)れ。

  ただ一燈を頼め。


 この場合の一燈は、志に置き換えられる。志を消さないで持ち続ければ、どんな窮地に陥っても意気消沈することはないということである。

   『すごく「頭のいい人」の生活術』

◎最初は不器用でちょうどいい

 何事につけ、多少疑問な点があっても、そこを曖昧にし、こういうことだろうと自分で納得してしまうほうが、楽で気持ちのいいものだ。このほうが、悩みは少ない。しかし残念なことに、納得した途端に、物事は終ってしまう。先へは進まず、伸びて行かないのだ。本当の天才は別として、中途半端に出来るよりも、かえって、最初は下手なほうが、後に伸びていくもののようだ。このことは、書道や音楽などの先生たちの一致した意見だ。芸術的な分野においては、最初からすらすらできるのは、ある意味では“危険な兆候”である、と反省するくらいの気持ちがなければならないという。将来伸びていく人の大部分は、最初は不器用なものなのだ。

   『悩む人ほど、大きく伸びる』

◎悩みは大事

 実は、質問するということは、かなり難しいことだ。そもそも自分が勉強していないと出来ない。勉強して初めて、どこが引っかかるのかがわかる。引っかかって、わからなくなるから悩みが生じる。わかった気でいる人には、この悩みは生じない。勉強して悩みが生じるから、質問が出来る。勉強すればするほど、悩みや疑問は生じるものなのだ。ニュートンがその典型的な例だろう。誰も疑問に思わなかったことにニュートンはなぜ気が付いたのか。リンゴが木から落ちることに疑問を持ち、悩む人などまずいない。これは作り話だとしても、しかしニュートンは、学問を深く追求していたが故に、何でもないことに対しても疑問を呈したということには通ずる。彼の頭の中には、常に疑問の対象、悩みの対象があったのだ。悩みがなければ、何も突き抜けることができない。悩みこそが破壊力として作用するといえるだろう。

   『悩む人ほど、大きく伸びる』

◎強い生き方

 気構えがしっかり出来ている人は、目の前にストレスが現れた時、これに敏感に反応する。例えば、何かの本を読んだとする。本を読むという行為は、一つのストレスなのだ。この時、同じ本を読んでも、何の役にも立たない人もいれば、ここから何らかを学びとる人もいる。その違いが気構えだ。一生懸命、何かをつかもうと思って読む人は、ちょっとしたことでも、「いいことを言っている」と感銘し、この積み重ねによって、どんどん伸びていく。難しい本ばかり読んでいればいいというものではない。どんな本でも、自分にピピッと何かが感じられれば、それが成長につながっていくのだ。成長する人は、成長するのに都合のいい部分を敏感に感じとり、そのことを教訓として吸い取っていく。何でもないことでも、それを教訓として受け取る人は、強い生き方ができる。

   『悩む人ほど、大きく伸びる』

◎自分の本当にやりたいことは何か

 チャールズ・ダーウィンは、「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」と言ったという。つまり、価値ある人生を送るために本当に必要なのは、学問の世界でいう頭のよさではなく、真剣にものを考え一意専心する態度であると言いたかったのだろう。

 そのダーウィンであるが、小さい時は勉強ができなくて、才気煥発(さいきかんぱつ)で賢い妹のほうが息子だったらよかったのに、と親から言われて育ったという。

 しかし、ダーウィンは自分が興味を持ったことは納得するまで追求するというねばり強さを持っていた。そして、最終的には、あの生物の進化思想と自然淘汰(とうた)説を明らかにした『種の起源』という、たいへんな学問的成果を残したのである。これは、それまでの人間の価値観を覆すほどの偉大な業績であった。

 この話を、私は旧制中学時代に恩師の佐藤順太先生からうかがったのだが、その後の人生を考えていく時にたいへん参考になったことは言うまでもない。

 なるほど、いわゆる「カミソリのような頭」ではなくても、深い興味と探求心、自分の人生で一番大事なことを見極める力さえあれば、歴史的な業績をおさめることも不可能ではない――そんな希望を私に与えてくれたのである。

 この話に深い感銘を受けたこともあって、私は学生時代をとおして、先生方や書物の中から、なるべく多くの教訓を得ようと心がけた。

 それは、言葉を換えれば自分の本当にやりたいことは何か、どんな人生を送りたいのかということを、真剣に考えていた、とも言えるだろう。

 そして、自分の好きなことをして身を立てていくのが夢であり、究極の幸せであり、そのためにこそ自分は生きているのだ、という確信を抱くようになった。

 その私の「好きなこと」とは、本に囲まれ、それを読んで過ごすような生活、または本を執筆するような生活、つまり「知的生活を送る」ということであった。

 これはまた、ただ食べるためだけの生活でなく、もっと人間らしく生きるということでもあった。

 幸いにして、私は大学を修了すると大学院へ進み、ドイツ・イギリスの留学を経て、母校で教鞭(きょうべん)を執ることができた。その道は、おおむね愉快であり、自分の立てた志のとおりの人生を送っているという充実感もあって、幸せな日々であった。好きなことをしている時、人は苦労を苦労と思わないからである。

   『すごく「頭のいい人」の生活術』

◎男気

 男気というのは、困っている人がいるときや、いざというときに「よっしや」とすべてを引き受けることだ。だが、この「よっしや」の引き受け方によってはエコ贔屓と見られないこともない。特定の人だけに義理立てしたり、その人のためだけに責任をかぶるのは確かにエコ贔屓かもしれない。いやエコ贔屓なのだ。しかし実は徹底的にエコ贔屓するのが、「男気」なのである。黙っていられなくなって「よっしゃ」と出る。そういった男気のある人がいないと、世の中つまらないと思うのだ。

   『自分の品格』

◎噂話

 ある人に、あるいはその家族に悪いことがあった時、その(うわさ)の広まり方の早さが驚くべきものであることは、たいていの人は知っていることであろう。これに反して、よいことのほうの噂はなかなか広まってくれない。理由は簡単だ。噂話というのは、他人の不幸などについて、熱心に情報を交換することだからである。

   『ローマ人の知恵』

◎マスコミ報道

 マスコミの報道を鵜呑(うの)みにしてはいけない。彼らは、ある意味では嘘つきだと考えていればいいと思う。

 嘘つきの大ボラにつき合っていては、世の中が正しく見えなくなる。目が曇っていては、見えるものも見えない。そしてその結果、変な価値観で自分をしばるようになる。テレビや大新聞はそれ程怖いものであることは知っておくべきだろう。

 彼らがあれこれ分別面して言うことや、何々予測というものは、カッコにくくっておけばいい。カッコにくくって、それが自分の考えの中に入らないようにしておく。参考にはするかもしれないけど、それに左右されはしないという態度でいるべきなのだ。

   『悩む人ほど、大きく伸びる』

◎墓参り

 よく先祖の墓参りをする家の子供は、だいたいよく育っている。年に一度でも二度でも、おじいさんやおばあさんの墓の前で手を合わせる。そういう場に連れて行ってもらっている子供は、そこに生命の流れを見るのだ。親父は祖父に手を合わせた。自分も親父が死んだら親父の墓に手を合わせるか、というような流れがイメージとしてでき上がってくる。そういうよいイメージをつくれるかどうかが大切なのである。

 悪いイメージを持っていると、悪いほうに人は行き、よいイメージを持っていると、よいほうに人は動くということだ。

   『自分の品格』

◎良きものとしての個人の富と自由

 旅行や旅は、英語ではトラベル(travel)だが、これはトラブル(trouble)、と語源が同じだ。フランス語ではトラヴァユ(travail)で、「お産」という意味の言葉とも同じ語源だ。つまり、旅行というのは、もともとは、死ぬ程の苦労をするものだった。

 それが、オリエント・エクスプレスができたり、大陸横断鉄道ができたり、日本では新幹線ができたりと、旅行も日増しに楽になり、どんどん遊びの要素も加わって、とうとう今や豪華客船でのクルージングまで、われわれ庶民の手の届くものとなっている。それもこれも、もともとは金持ちたちの考え出した遊びに、われわれが追いついてきたからだ。個人の富と自由というのは、やはり良きものを与えてくれるということだ。それを悪しき物だと考えた途端に、自由な遊びもなくなり、国そのものもとんでもないことになってしまう。

   『知的余生の方法』

◎お金はいい召し使い

 お金というのは曲者(くせもの)で、いつもいつも自分の思い通りになるというわけではない。お金の(とりこ)になることが、往々にしてある。お金は元来は良きものなのだが、悪しきものにもなりやすい。気をつけないと、いつの間にかバッド・マスターになっている、というのはよくあることなのだ。

 では、そうならないためにはどうすればいいのか。非常に単純なことで、常に使ってやるようにすればいい。しかも賢明なやり方で。賢明に使えば使う程、お金はいい召し使いになる。そして面白いことに、お金や財産を良い物だと思っている人のところには、自然とお金が集まるようにできているものらしい。

   『知的余生の方法』

◎自己実現には苦痛がともなう

 生きがいを追求していくと、その途中でいろいろなものを捨ててゆかねばならない。西行が自己を追求するには、罪もない家族を捨てなければならなかった。その場合、自分の周囲にあって、よく親しんだもの、よきもの、なつかしきもの、満足を与えてくれたものなども捨てなければならないということもよく起こる。

 彫刻するときには、大理石の多くをけずって捨てなければ求める像が出てこない。人生における自己実現も同じことで、真の自分を実現するためには、多くの自分を捨てなければならない。それはすべて苦痛をともなうはずである。

   『「自分の世界」をしっかり持ちなさい!』

◎発想の豊かさをもたらすもの

 離島や、その他の社会通念的に恵まれない環境で育つことも、見方を変えると、かけがえのない貴重な発想の泉になる。転勤の多い父を持った子供や、海外からの帰国子女たちは、入試などでは損する立場になるかもしれないが、発想の泉という点から見るならば、実に恵まれた人ということになる。

 ただしそれは、自分の体験の一つ一つを、宝玉のごとく大切にし、想起し続けるという心がまえが必要である。そうすれば、辛かったり、ひどい目にあったりしたことのほうが、かえって発想の豊かさに連なることを発見するであろう。

 不幸な、あるいは恵まれない体験ほど、恵まれた体験であるという逆説(パラドックス)も成り立つ。

   『発想法』

◎記憶こそ人生
「人生とは何ぞや」と言えば定義の仕方はいろいろあろう。しかし振り返ってみればそれはただ記憶があるのみである。自分の子供や妻と、その他の人間がどこが違うかと言えば、現時点ではともあれ、記憶の中で、長い間の懐かしい憶い出を共有している点である。記憶内容こそ人生である。楽しい記憶の最も長い共有者こそ夫であり妻である。

   『ローマ人の知恵』

◎気概

 孟子は、
「自ら省みて(なお)くんば(正しければ)、千万人といえどもわれ()かん」

 と説いています。

 そこまで崇高でなくても、日々の一挙手一投足にも、やはり私たちは自分なりの気概を貫いて生きていきたいものです。

 気概とは、その人の生き方の証であり、その人の哲学の反映でもあるでしょう。それは自分のアイデンティティーの裏返しでもあるのです。

 よく、人は自分の顔に責任を持てと言われますが、それはとりもなおさず気概がそこはかとなく表面にしみ出てくることを言っているのです。

 こう考えますと、人生とは、自己実現を一つ一つ図りながら、自分の内なるものを高め、気概を作り上げていく過程と言えるのではないでしょうか。言い換えれば、精神を創造していく道程なのです。そして、時折、自分を省みて、気概がどの程度まで向上してきたかを確認し、さらに高めていくことが必要なのではないでしょうか。

 その時に、自分の人生という背骨を、熱すれば溶けてしまうようなロウや、押されればボキッと折れてしまうプラスチック、ましてや、どこかから借りてきた骨で形づくるのではなく、まさしく内面から熟成されて結晶した気骨で作り上げていくことが、深みのある人生を築き上げるのでしょう。

 もちろん、気概には孟子の先述の言葉のような勇ましく力強い気概もあれば、柳のようにしなやかで決して折れない気概もあるでしょう。それは人さまざまだと思います。

 しかし、人間の価値、人生の価値というものは、気概においてそれが推し量られるという真理を、私たちは深く考えなければならないと思います。それは時代を超えても永遠に真理であると言えるのではないでしょうか。

   『わたしの人生観・歴史観』


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