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神社ツーリズム
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生き方・教養
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あとがき

『神社ツーリズム』
[著]東條英利 [発行]扶桑社


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 本書の校了を目前に控え、原稿の最後の整理に追われていた私のもとに、興味深いニュースが飛び込んできた。どうやらヨーロッパに、この地では初めてとなる新しい神社ができるらしいのだ。日系人が多く住むブラジルやハワイなどを中心に、海外にも神社があることは認識していたが、ヨーロッパというのは初耳だった。しかも、よくよく聞いてみれば、神社が建立されるのは「サンマリノ共和国」というからなお驚きである。なぜならサンマリノは、純粋なキリスト教徒によってつくられた国だからだ。


 イタリア半島の中部に位置するサンマリノ共和国は、人口3万人弱の世界で5番目に小さい国だ。公用語はもちろんイタリア語。だが、その歴史は古く、現存する「世界最古の共和国」と称されるように、国家の成立は4世紀初頭にまでさかのぼる。当時のローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスはキリスト教徒を徹底的に迫害し、それから逃れるために「マリーノ」という石工がチタン山に立てこもり、信徒たちを集めて共同体をつくった。これが、このサンマリノ共和国の始まりである。

 まさにキリスト教徒の、キリスト教徒による、キリスト教徒のための国家である。そんな国に神社が創建されるというのだから、尽きることなく興味が湧いてくるというものだ。しかも、この神社は個人が自分の敷地のなかに小さな御社を建てるという類のものではなく、日本の神社本庁が全面的にバックアップするという本格的なものなのだ。運営も日本人ではなく、あくまで現地のサンマリノ共和国の人たちによって行われるという。先日、ヨーロッパから来日した外国人と話す機会があったが、この件を伝えてみたところ、みな一様に驚きを隠せない様子だった。

 まぁ、それはそうだろう。私からすれば神道は宗教ではないという認識でも、海外からはそう見えない。外国、特にキリスト教圏であるヨーロッパでは、神は唯一絶対の存在だ。そんな彼らからすれば、神道を宗教と誤解するのは無理もない話なのかもしれない。普通に考えれば、純然たるキリスト教国に異教が進出してきたような違和感を覚えたのだろう。だからこその驚きぶりだったのだ。


 幸運なことに、私はこの神社創建の中心人物であり、立役者でもあるサンマリノ共和国のマンリオ・カデロ特命全権大使にお話を聞く機会を頂いた。大使は神道についてこうおっしゃった。
「私は神道を宗教だと思っていません。神道は日本が自然と共に歩んで来たライフスタイルそのものだと思っております」

 私はすべてを理解した。なぜキリスト教国であるサンマリノ共和国に神道を持ち込むことができたのか。それは彼らが誤解することなく、その言葉にあるように、神道を宗教と認識していないからである。


 本書で取り上げたジョン・レノンもこれと同様の認識を抱いていたと思われるが、神道の持つ“無宗教感”、つまり中庸な姿勢が理解されたとき、神道はあらゆる障壁を超えて共存できる。そんな可能性が今、強く示唆されているのではないか。それだけに、サンマリノ共和国における神社建立の動きは、神道の新たな可能性を示す、小さくても非常に大きな一歩になると言えるだろう。世界は一歩ずつ新たな道を歩み始めているのである。

「神社人」の活動を振り返ると、自分にしかできない大きな意義がそこにあるのではないかと、このところ私は感じ始めている。今年の4月16日、わが親愛なる父、英勝がこの世を去った。当家では嫡男のみが名に「英」の字を継ぐ習わしなっているのだが、実は、先の大戦の最中、第40代内閣総理大臣の任に就き、戦後、極東軍事裁判にかけられることとなった東條英機は私の曾祖父に当たる。その妻はかつ子と言い、父はその両者の名前を継ぎこの世に生を受けたのだ。父は兄弟とともに戦後の苦労を一身に負いながらも、「一切語るなかれ」という東條家の家訓に従い、決して公の場で曾祖父のことを語ろうとはしなかった。そんな父であるからこそ、私も前著『日本人の証明』では慎重に慎重を重ね、「東條」という名に関する記述はあくまで自らの経験に基づいた部分に留めることにした。それでも、「東條」という名を明かし、この名と向き合っていくという行為は、父にとってどのように映るものなのか……それが、私が初の著書を出版したときの最大の関心事となっていた。ところが、父は私の心配をよそに満面の笑みをもって「最高だ!」と言ってくれた。正直、ほっと胸を撫で下ろした瞬間であった。


 それだけに父は、「東條」を強く語らずとも、日本、そして先人の想いに応えようと、神社、神道の再生に奔走する私の活動に、大きな関心と深い理解を示してくれていたのである。だから、私としても日々の活動を父に報告することが、率直に自身のやりがいにつながっていった。しかし、若い頃を振り返れば、こうした境地に至ることなど想像すらしなかった。厳格な父に畏れを抱いた幼年時代、そして、外出の多い父とあまり会話をすることがなかった少年時代。成人になってからは若干関係に変化が見られたが、それでもどことなく気恥ずかしさが先に立ち、父子でありながら多少の遠慮を伴った青年時代。そんな微妙な間柄ではあったものの、私も成熟し、一端の大人になったとき、晩年を迎えた父との間に、遮るものはいつの間にか何もなくなっていた。逆に、あまり口にはしなくても、同じ東條の「英」という名を継ぐ者同士、その想いは非常に近いものとなっていった。それだけに、父の死は私にとって大きな痛手となった。実際、父が亡くなってしばらくは、神社の情報を一社一社増やしていっても、充実するどころか虚無感が増していくばかりだった。それはまるで出雲の国づくりにおいて、志半ばで少彦名命を失った大己貴神のような心持ちだった。失って気づくことは多いとよく言われるが、私の場合はその気付きがあまりにも多く、大きかったのだ。そんな虚無感を感じながら四十九日を迎えようとしたある日、私は、生前父が残した言葉に倣い、叔母のもとにあった曾祖父・英機の遺品を一度実家に集め、父が所有していたものと合わせ、少し整理をしてみることにした。遺品は曾祖父の思い出に溢れ、当時の彼の想いを十分に窺い知ることのできる大変貴重な記録が数多く見られた。なかには、曾祖父と父の強い絆を感じさせる手紙なども見つかり、改めて、先祖から子に託された強い想いを知ることとなったのだ。


 そんなふうに想いを噛みしめながら遺品の整理をしていると、2冊の冊子に目を奪われた。曾祖父が所有していた御朱印帳である。1冊は曾祖父の戦勝祈願と武運長久(ぶうんちょうきゅう)の願いが込められた通常の御朱印帳。もう1冊が大阪の黒田さんという方から曾祖父の健康を願って寄贈された大型の御朱印帳である。私はこれを見たとき、自分のなかに何とも言えない運命の皮肉というものを感じた。なぜなら当時、私はすでに「神社人」としてオリジナルの御朱印帳をつくり、その使用を呼びかけながら神社に参拝することの大切さを説いていたからだ。もちろん、これは単なる偶然なのかもしれないが、父の死によって手にすることとなった御朱印帳には、そんな天命にも似た先祖の意志の働きを強く感じたものだった。この場をお借りして、亡き父、英勝に最大限の感謝と敬意を表したい。


 現在、私が推進している神社のデータベース構築は、まだまだ完成への道のりは遠い。おそらく、晴れて完成に漕ぎ着けるには、全国のさらに多くの人たちの助けが必要となるだろう。しかし、このデータベースが完成したとき、私はこの日本がさらなる輝きを取り戻すのではないかと強く信じている。日本は文化的な魅力に満ちた国である。少し視点を移して、自分自身やその身近な周囲に向けるだけでも、この当たり前の世界は大きく姿を変える。私たちが思っている以上に、私たちは自分たちの国のことを知らないのだ。自分のルーツを求める旅はまだ始まったばかりである。

 平成25年夏   
東條英利
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