前章の最後で、自殺を決意したサラリーマン氏の日々は微妙に現実感を失い、時間は停滞し、彼はあたかも地上一センチの高さに浮遊したまま何食わぬ顔で世間に紛れていたのでした。さながら時間のエアポケットにでも紛れ込んだかのようなシュールな日常を過ごしていたわけです。このようなちょっと不可思議な精神状態は、果たして居心地が悪く苦痛なものなのでしょうか。不安で寂しさに満ちたものなのでしょうか。
どうも人によって好みが分かれるようです。倦怠感と煩雑さとに塗り込められた息苦しい毎日よりは、リアリティーを欠き漂白された時間に迷い込むことに魅力を覚える人もいれば、そんなものは気味が悪いと感じる人もいる。たとえばわたしは、基本的にこのような体験が大好きです。当たり前の感覚や常識が、ちょっと音程が外れたように変質していく手応えがささやかなスリルとして経験される。
古井由吉の短篇小説に「赤牛」という作品がありまして(『哀原』所収、文藝春秋、1977)、そこでは語り手が子ども時代に、誤って樹木から宙吊りになってしまった際の奇妙な白昼の記憶が語られています。
私も子供の頃に覚えがある。一人で木から飛び降りそこねて服の袖を小枝にひっかけてしまい、長いこと片手吊りにぶら下がっていた。左手では片手懸垂に身体を枝へ引き上げることもできない。足を踏ん張ろうにも幹に届かない。策尽きて、人の姿の見えない昼下がりの町の風景の中へ、大声に助けを呼んだものだった。声は聞えているはずなのに、誰ひとり家の中から出て来ない。左腕がなまるにつれ、服の襟が首すじに喰いこんでくる。その力を喉もとから逸らし逸らし、喚きつづけるうちに、声の質が変った。自分のものとも思えない喉太な吠え声だった。しかしそれと同時に、身体は妙なふうに静まって、われとわが声をしいんと聞いていた。まわりの風景がいつもより穏かに、のどかに目に映った。あちこちで人の立てる物音が、獣めいた吠え声に触れられずに、くっきり響いた。私の頭も、この片手吊りの窮地におよそふさわしくない日常のことどもを考えていた。
窮地に陥った「私」は普段の「私」から変身しかけている。同時に心は妙に落ち着き、見馴れた風景はいつもよりも鮮明に眼前に広がっています。違和感が決して不快には感じられず、むしろ珍しいものを目にしているみたいな特別な瞬間を生きている実感となっている。この落差が、立場は苦しいにもかかわらず不思議な喜びを喚起します。身も蓋もない言い方をするなら、脳内麻薬やアドレナリンの放出がもたらしている精神変容なのかもしれません。
わたし自身は、ことさら追い詰められなくとも(慢性の不安感があるからかもしれませんが)、散歩をしているだけで結構似たような精神状態を召喚できます。ひそかで「いかがわしげ」な楽しみといったところでしょうか。場末の飲食店街や駅裏のうらぶれた商店街などを当てもなく歩いていると、時間感覚も地理感覚も曖昧になり、自分自身は透明人間にでもなったかのごとく存在感を失い、幼い頃のエピソードやおかしな出来事の経過などがありありと甦ってきます。おそろしく間口の狭い焼き鳥屋の、古ぼけた看板の色(褪せた黄色)から踏切事故で死んだ中学の級友が描いた《砂丘の水彩画》の色遣いをいきなり思い出したり、ちっぽけな時計屋のショーウインドウの中の冷え冷えとした眺めが耳鼻科の診察室の記憶と結びつく、といった具合に。
たぶん、心は微小な解離を起こしているのではないでしょうか。解離というのは、さまざまな内的体験の統合が失われ、感覚や記憶や思考が目の前の現実から遊離した状態です。白昼夢の類もそうですし、離人感もそうでしょう。茫然自失もそうです。もっと病的になると、心因性の記憶喪失や憑依状態、朦朧状態や夢遊病様の徘徊、自傷行為、多重人格や心因性遁走などが挙げられます。病的になる手前のプチ解離によって、現実感を遠ざけ時間の流れから逃れ、つまり「待つ」ことの苦痛を帳消しにできる。
ときには離人感を訴えて精神科を受診する人がいたりしますが、これは普段とは異なる心の状態に戸惑いを覚え不安に思っているからです。耳管(エウスタキオ管)が詰まって急に聴覚がおかしくなり、物音がすべて遠ざかって聞こえる状態に焦るのと同じなのでしょう。わたしは白昼夢や離人感レベルは脳内レクリエーションと捉えていますし、ときには辛い現実をやり過ごすための技術となり得るとも思っているのでむしろ歓迎です。そしてどんな人でも一定以上の精神的負荷が加わると、自動的にプチ解離が生ずるようです。もっとも変な具合にプチ解離が「癖」になると、リストカットの常習者(気付いたら手首を切っていた、の繰り返し)みたいになって困ったことにもなりましょう。