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ルポ・エッセイ
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おわりに(補遺を兼ねた少々長い後書き)

『待つ力』
[著]春日武彦 [発行]扶桑社


読了目安時間:12分
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 以前から、これはいったい誰が言ったのだろうと気になっていた言葉があります。多くの人に尋ねてみたもののいまだに出典は分からないけれど、内容には多くの人が賛同してくれる箴言(しんげん)もどきの言葉で、それは――


   心の底から強く願えば、その願いはきっと叶う。ただし実現するのは、望んだ通りのタイミングとは限らない。


 というものです。老人に突入しつつある年齢まで生きてくると、この言葉はいやに生々しい。振り返ってみると、自分の願いは結構な確率で実現しているのです。これは驚くべきことで、ならばわたしは幸福感や達成感を覚えているかといえば、そんなことは全然ない。それどころか、憮然(ぶぜん)とした気持ちですらある。

 というのも、願いが実を結んでも「けっ、今さら」といった調子で、有難味がちっともない。カタルシスを欠く。それなりに実現したとはいっても、全体としてどこか「しょぼくれて」いる。すっかり香りの抜けた松茸を食べているような気しかしない。散々待った挙げ句がこの有りさまかよと毒づきたくなるのですね。右に挙げた言葉は、まさに人生における罠を語っているように思えてなりません。

 本書でわたしは、「待つ」ことには豊かさや予想外の可能性が潜在しており、しかも偶然性や関係性にアクセスするための積極的な方法論ともなり得ると述べました。そのようにプラスの要素を孕んでいるいっぽう、待っているあいだに旬を過ぎてしまうような事態があることも事実なわけです。いや、そうしたマイナス面が真っ先に頭に浮かぶからこそ、大概の人たちは性急になるのでしょう。

 でもそれはどうしようもないことです。ごく一部の幸運な人だけが、望んだ通りのタイミングで願いが叶う。それ以外の我々は、気の抜けた炭酸水みたいなもので我慢するしかない。いじましい形であっても、どうにか叶ったことを天に感謝すべきなのでしょう。それが人生における謙虚な態度ということになるのかもしれません。本音の部分では承伏し難いですが、この場合の謙虚さとはつまり生活の知恵なのであり、そうしたほうがストレスの少ない人生を送れるということであります。いまいましいですけれど。


 気持ちのいい人生とは(わたしの場合)、カタルシスに満ちた人生ということになる。でも、おそらくそんな人生はないのです。周囲から見れば「やったぜ!」という気分を頻回に味わっているように見える人でも、本人としては慣れが生じるし欲がますます深くなるから、さして嬉しくないだろうと思います。感動は形骸化し、目標のハードルが高くなってしまうぶんだけかえって苦しくなってしまうかもしれない。

 待ったからこそのカタルシスもあれば、待つうちにもはやどうでもよくなってしまうこともある。前者ばかりを求めて汲々(きゆうきゆう)とせずに後者を淡々と受け入れることによって、我々は達観した人に近づくということになるのでしょうか。

 待っているうちに心から新鮮さが失われ、もうどうでもよくなってしまう事態は不首尾とか挫折、誤算といったカテゴリーに属するのでしょうか。少し視点をずらしてみれば、待つことには「頭を冷やす」とか再検討、再考といった働きも含まれていることに気づきます。次から次に願いや希望が速攻で叶ったら、我々はかえって過ちを犯してしまいかねない。人間性が深まらない。内省を欠いたろくでなしになってしまう。

 本文で新型うつ病のことに少しばかり触れていますが、治療者の立場としては、神経症や新型うつ病といったものは結構荷が重い。なかなか治らないケースが多い。「とうとう治った!」と、ドラマチックといいますかカタルシスを伴った形で終結することはまずありません。「治る」というメリハリの利いたものではなく、症状が有耶無耶になり曖昧になって「ま、こんなもんかな」とフェードアウトするケースのほうが普通です。往々にして病気であること自体が(当人が望むか否かにかかわらず)アイデンティティーと化してしまうのですから、治すといった強引なアプローチよりは妥協点を探るという方法論のほうが正解なのですね。

 患者さんとしては、「とうとう治った!」という瞬間を期待している。でもそんなものを望むと、不満ばかりが募っていくことになります。いや、人生にやたらとカタルシスを期待するようなタイプのほうが、かえって神経症や新型うつ病に親和性があると考えたほうが適切なのかもしれません。

 そんな人をなだめすかしつつ、悩みに耳を傾けたり簡単な助言をしたり、ときには薬を少なめに処方して付き合っていく。患者さんは「じれったい」ことでしょうが、治療する側としても歯痒(はがゆ)い。無駄な時間を過ごしているような気分になってくる。わたしとしては気まずいし、医師としての無力感を思い知らされるようで心苦しくなってくるのです。

 でも、この不毛とも受け取られかねない時間経過が実は大切であることを自覚するようになったのは、比較的最近のことです。

 《治る・治らない》といった二分法に囚われてしまうと、「いつになったら治るんだ」と、患者も治療者もお互いに幻滅してしまう。だが、さまざまな症状を消し去ったり押さえ込むといった発想ではなく、症状を「薄めていく」「希釈していく」と考えるとどうでしょうか。多少の症状は残っていたり出没するものの、まあどうにか生活が成り立っていけばよろしいと肩の力が抜けた時点を以て「治った」と見なす。これは誤魔化しなのでしょうか。いや、違いますね。むしろ自分自身との付き合い方が上手くなったということではないのか。そうなると、病を得たことは決して無駄ではなかったといった話になってきましょう。決して損をしたという話ではない。

 神経症レベルの人を安易に入院させてしまうと、かえって症状が濃縮されて病人としてのアイデンティティーが強化され、逆効果になってしまうことがあります。(やぶ)医者と思われてもいいから、あまり変わりばえのしない(でも誠実な)対応を延々と続け、徐々に症状の毒々しさを薄めていこうと腹を据えたほうが結果は良いようです。待つことを忌避するのではなく、待つことを恐れない治療者の態度にこそ改善の兆しは見出される。

 という次第で、「焦ることなく待てる」という雰囲気がいちばんの治療薬となるのです。待っていれば症状は竜頭蛇尾と化していく。そして仕事の場においては、我々はいかに「焦ることなく待てる」状態を自分で作り出すかが重要となる。そのことによって「人事を尽くして天命を待つ」モードへと持ち込めるという話は本文に記した通りです。


 井上靖の短篇「補陀落渡海記(ふだらくとかいき)」のことも書いておきましょう。

 熊野の浜ノ宮海岸には補陀落寺があり、ここは補陀落信仰の拠点とされていました。その信仰とはどのようなものであったのか。


  ……船底に固く釘で打ちつけられた一扉すら持たぬ四角な箱にはいり、何日間かの僅かな食料と僅かな燈油を用意して、熊野の浦から海上に浮ぶことは、勿論海上に於ての死を約束するものであった。併し、それと同様に息絶えたものの屍は、その者が息絶えると同時に、丁度川瀬を奔はしる笹船のように、それを載せた船と共に南方はるか補陀落山を目指して流されて行く。流れ着くところは観音の浄土であり、死者はそこで新しい生命を得てよみがえり、永遠に観音に奉仕することができるのである。

   熊野の浦からの船出は現世の生命の終焉を約束されていると同時に、宗教的な生をも亦約束されているものであった。


 窓も扉もない屋形船に密閉され、南無阿弥陀仏と書かれた帆を張って死への航海に出るのが補陀落信仰というわけで、その事実上自殺に近い儀式は即身仏としてミイラとなるような無残さをも伴っているのでした。

 永禄八年、補陀落寺の住職である金光坊はたんにそこの住職であるという理由だけで、この死への航海を実践しなければならなくなってしまいます。過去におよそ十名の渡海上人たちが死へと向かっていきました。住職は全員が渡海上人とならなければならないわけではなかったのに、近頃では、住職が六十一歳になるとその年の十一月に渡海しなければならない雰囲気となっている。そうでなければ世間が承知しない。

 金光坊は、呑気にも六十一歳になるまで渡海をリアルに考えたことがありませんでした。何となく他人事のような気でいた。何名もの上人が渡海する恐ろしげな光景を目にしてきたにもかかわらず、自分の身の上と結びつけて考えたことがなかったのでした。上人たちの中には、精神を病んでいたとしか思えない人々もいたのです。そんな金光坊が、次第に現実味を帯びて迫ってくる渡海の恐怖に怯えつつ、読経をしながらその日を「待つ」生活が綴られます。

 命が惜しければ、さっさと寺から逃げ出せばいいのです。もちろんそのことで世間から嘲あざけられるでしょうが、海上で餓死ないし溺死するよりはマシでしょう。でもそんなことをする決心がつかない。海に散った上人たちのことを考えながら、結局は状況に流されるままに日々を送り、遂に金光坊は屋形舟に乗せられます。暗い箱の中に閉じ込められ沖へと押し出されていくシーンの描写は、読んでいて息苦しくなります。

 海が荒れ、舟から放り出された金光坊は島に流れ着きます。もはや体裁など構っていられません。だが助かったと思いきや、残酷にも、彼は再び即席の屋形舟に閉じ込められて沖へと送り出され、今度こそ戻ってくることはありませんでした。

 人間の弱さや情けなさがテーマということでしょうが、ボディーブローのようにじわじわと効いてくるのは、金光坊がむざむざ死を「待つ」ことを(いと)いつつもそのまま逃げられなかったという構図です。彼は待つ必要なんかなかった。逃げるチャンスは常にあった。にもかかわらず、さまざまな思惑から結論を導き出せないまま、無駄に「待つ」を浪費してしまったのです。世間体や自尊心に絡め取られて、自ら死へと歩み寄ってしまったとしか言いようがない。

 向こうに不幸や破滅が見えており、その悲惨なゴールが自分を待ち受けている。でも我々は、往々にしてその「待つ」から降りることができません。魅入られたように悲劇へ向かってしまう。成り行きに逆らうことはたまらなく億劫な営みに思えてしまう。「待つ」ことはもどかしいと同時に、ある種の依存性や中毒性があるような気がしてならないのです。そこがわたしを動揺させずにはおかない。


 もうひとつ。忠犬ハチ公の件はどうでしょうか。ご存知とは思いますが、あえて話をおさらいしてみます。秋田犬のハチは、東京帝国大学農学部教授である上野英三郎(現在の渋谷区松濤在住)の飼い犬で、主人が出掛ける際にはいつも渋谷駅までお供をしていました。駅まで迎えに行くこともしばしばだったようで、それだけ上野教授には可愛がられていたのでした。

 大正十四年五月二十一日、飼い主は大学の教授会の席で脳卒中のため急死します。もちろんハチ(当時二歳)にはそんなことは分からない。いつまで経っても主人が帰ってこないので、ハチは毎日渋谷駅まで帰宅時間帯に出向いて待ち続けました。当時は動物愛護精神など行き渡っていなかったこともあり、暴力を振るわれたりイタズラをされることもあったけれど、それでも主人を慕って駅に通い続けました。何と「いじらしい」ことか。昭和十年までハチは虚しい出迎えを繰り返し、三月八日早朝に道端で死んでいるのを発見されました。死因はフィラリアないし癌だったとのことでした。

 ハチ公は、亡くなった主人を待ち続ける忠犬として美談に祭り上げられたのでした。その一環として駅前に銅像も作られたわけです。でもこの話は、わたしには悲惨な話としか思えない。イノセントそのもののハチは毎日失望と悲しみを味わっていたわけで、飼い主は死んじゃったんだよと教えてあげることは誰にもできない。しかも駅では通行人や駅員や商人に(いじ)められる。残酷な話としか思えない。

 でもこの話には、人を惹きつけるものがあります。その要因はいくつも数え上げられますけれど、(人間に比べれば)無知な存在が「待つ」ことに(もてあそ)ばれることの切なさが胸を打つわけです。いくら待っても無駄。だけどそのことを知らないハチは待つしかない。考えてみれば、何かを待ち続ける自分もまた、神のような存在から見ればハチ公と変わらない虚しい姿に映るのかもしれない。ハチは飼い主の眠る青山霊園に葬られています。死後にやっと、主人と会うことができたのです。まさに「心の底から強く願えば、その願いはきっと叶う。ただし実現するのは、望んだ通りのタイミングとは限らない」そのままではないですか。弱気になると、ハチとオレとどれだけ違うんだ? といった気分にわたしは囚われてしまいます。本書のタイトルに相応しい心境からは遠ざかってしまうのが情けないです。


 待つという営みをテーマに、ポジティヴなことからネガティヴなことまで幅広く考察し、多少なりとも役に立つ考え方や視点を見出そうという目的で本書を作りました。率直に申しまして、予想外に書くのが難しかった。「待つ」ことは一種の宙ぶらりんの状態で、そこにはあらゆる思考や言説が漂っている。あまりにも取り留めがなさ過ぎるのです。絶望も希望も一緒にある。だからこそ取り組んでみる価値があったわけですが、そんな悪戦苦闘に最後まで付き合ってくださってありがとうございました。辛抱強く「待って」くれた雑誌『en-taxi』編集部の生田敦氏にも、この場を借りて感謝いたします。


   平成二十四年十月三十日春日武彦 
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