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28 反戦思想でしか語られない歌詠みの真の姿とは──与謝野晶子

『なでしこ日本史』
[著]渡部昇一 [発行]扶桑社


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  与謝野晶子(よさのあきこ 一八七八〜一九四二)旧姓は鳳晶。与謝野鉄幹の妻。明治から昭和期に活躍した浪漫派歌人、作家、思想家。自民党衆議院議員・与謝野馨は孫。大阪堺の老舗和菓子屋の三女。ファンだった与謝野鉄幹に恋し上京。雑誌『明星』に発表した歌集『みだれ髪』で一世を風靡する。長詩「君死にたまふことなかれ」が危険思想を帯びていると世論の非難を買う。十二人を出産した子だくさんとしても知られる。


 歌集『みだれ髪』に酔った若者たち

 歌人の与謝野晶子は大阪堺の老舗(しにせ)和菓子屋の三女である。旧姓(本名)は鳳晶といった。子供の頃から本好きで、父親の蔵書の古典に親しむ典型的な文学少女であった。堺女学校を出ると家業を手伝いながら、和歌に取り組むようになり、浪華(なにわ)青年文学会のメンバーとなる。

 運命の人与謝野鉄幹(てっかん)と出会ったのは明治三三年(一九〇〇)のことだった。売れっ子歌人であった鉄幹は雑誌『明星』を主宰しながら、北原白秋(はくしゅう)、石川啄木(たくぼく)など浪漫(ろまん)派の詩人を見いだした名プロデューサーでもあった。そして、プレーボーイとしても鳴らしていた。

 鉄幹との恋に落ち上京すると、晶の才能は一気に開花した。明星に短歌を発表するチャンスを得ると、女性の奔放なエロチシズムを(うた)った歌集『みだれ髪』を刊行し、一大センセーションを巻き起こした。以降は与謝野晶子のペンネームで次々と作品を発表、当時の若者たちは彼女の歌に酔った。

 こうして浪漫派歌人としてスターダムにのし上がった与謝野晶子であったが、歌壇の守旧派からはおおいに反発を受けた。

 明治三七年(一九〇四)に発表した「君死にたまふことなかれ」は反戦思想が強く、国家をないがしろにするものだとして、世間から集中砲火を浴びた。


 誤解を受けた「君死にたまふことなかれ」

 しかし、これには大きな誤解があったと言わざるを得ない。

 この『明星』に掲載された長詩「君死にたまふことなかれ」は、日露戦争の旅順(りょじゅん)包囲戦に従軍した自分の弟を心配して詠ったものである。三連目に「すめらみこは 戦ひに おほみずからは 出ませね」、つまり、天皇陛下は戦争に自らお出になりませんとあることから、「国よりも家が大事なのか」と顰蹙(ひんしゅく)を買ったわけであるが、これは反戦というよりも、むしろ銃後にいる女性の哀しみの歌といえる。

 非常に重要なのは、戦争の最中に、「君死にたまふことなかれ」という詩を作っても、政府がまったく干渉しなかったという点である。それは、これが町人の女の歌だという認識があったからだ。当時の政府は武士上がりの人で占められ、言うなれば武家政権と同じような感覚があった。

 武家というのは戦争を使命と思うような伝統の中で育っているから、大阪の町人の娘があのような歌を詠ったからといって、まったく頓着(とんちゃく)しなかったのである。そういうことにいろいろと難癖をつけるようになるのは、武士の伝統がなくなって以降の話だと思う。

 晶子は別に反戦主義者でもなければ反愛国主義者でもない。
「水軍の 大尉となりて わが四郎 み(いくさ)にゆく たけく戦え」

 これは晶子の四男が海軍大尉として出征する際に()んだ歌だが、当時の母親としての心情を伝えている。「君死にたまふことなかれ」でしか晶子を知らない人たちには、ぜひとも知ってもらいたい歌である。
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