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日本史の中の世界一
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歴史
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1 世界最古の土器──縄文土器

『日本史の中の世界一』
[責任編集]田中英道 [発行]扶桑社


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世界最古の土器

 土器が使用されたのは、日本が世界で一番早い。それは一万一千年前で、日本に次ぐ西アジアではだいたい八千年前に発明されているので、それよりも三千年ほど早いのである。しかも、その西アジアのものは貯蔵用であり、日本のように煮炊(にた)きに使われてはいない。

 また、南アメリカではアマゾン河流域の貝塚から発見されたものが、約六千年前のものである。中国では土器が見出されてもいない。南中国で発見されたものを、約一万年前のものだと中国の考古学者は述べているが、石器や骨角器も貧弱なもので、日本のものには太刀打ちできないと考古学者の佐原真氏、小林達雄氏は『世界史のなかの縄文』(新書館、二〇〇一年)の中で述べている。

 世界の四大文明というが、いずれの文明でも、土器は捧げ物、食べ物を盛り付けるために始まった。そうした土器は四大文明に共通する。それに対し、日本の縄文土器は、煮炊きのために始まった。一歩進んでいたのである。

 世界の北緯三〇度以北で、採集狩猟民の土器は、全部、胴長で深鉢であり、それは食べものの盛り付けをするために作られていた。同じ土器とはいえ、インダス文明の土器も、縄文土器も、同じ用途のために作られたと考えてしまうと、比較の視野を欠いてしまう。

 もともと日本は土器の種類が多く、大陸の諸地域よりも遺跡の分布する密度が大変高いことがわかる、と同書は述べている。遺跡の密度が人口に正比例するわけではないが、日本列島は人口密度が高かったことが比較によりよくわかるという。

 石器の種類が多いことは、人々がさまざまな地方からやって来たために、そのバラエティの多さを示すことになった、と推定する学者も多い。日本には大陸からも太平洋の諸島からも、多くの人々がやって来て住み着いていたことが推測される。

 あるいは、日本にやって来て、人々は大いに工夫をしたとも考えられる。確かに日本の遺跡発掘は、朝鮮半島や沿海州などと比べ盛んであるにせよ、一つの遺跡から出てくる石器などの量は何倍もあるという。

 縄文時代になって新しく登場したのが土器である。それまで道具の材料は、硬い石とか木、牙、骨であった。一部には粘土が使われていた。この土器の誕生が旧石器から新石器への転換を意味する。

 新石器革命を唱えたのはV・G・チャイルド(一八九二〜一九五七)であるが、土器は「化学的変化を応用した人類最初の大事件」と述べている。これは粘土を焼くことによって、水に溶けない土器になる、という化学的変化が発見されたことを、人類最初の大事件と評価しているのである。だが、それだけであれば旧石器時代に、土弾(つちたま)とかペストニッツエの人形とかの例がある。火によって土が固くなることは、それ以前にも多少は知られていたのである。

 重要なのは、日本で、それを土器にしたことであった。西アジアでは入れ物としては革袋、木の皮の樹脂(かご)、編み籠など、貯蔵用であったり、神に捧げる器であったが、日本では煮炊き用にしたのである。

 そしてさらに、粘土でそこに装飾的彫塑(ちようそ)類を加えるようになったのも日本であった。粘土の可塑(かそ)性を利用して、造形性にまで持っていったのが、原日本人だったのである。日本の縄文土器の素晴らしさは、その突起した装飾で、これも世界で唯一の形式である。イギリスのベル・ビーカーという土器には模様はあるが、突起した造形物はない。ヨーロッパには彫塑の装飾の精神がなかったのである。

 日本には「火焔(かえん)土器」と呼ばれる土器がある。新潟で発見された『火焔土器』(長岡市立科学博物館蔵)は、その四つの把手(とつて)の形状が燃えるような火焔形をなす「鶏頭(けいとう)火焔」形で、器にも霊が宿るとする当時の人々の感情を語っているように見える。

 こうした土器は、火を用いて炊く器であったので、黒く焦げた跡の残された土器も出土している。いずれも(ふち)取りが波を描き、その形象の美しさが、火を模していることを予想させる。これは大地の営みの混沌を示しているといってよく、自然に対する「抽象意志」が働いているのをみてとることができる。こうした日本の「縄文土器」は、世界に類例のないものである。

 火焔だけでなく、曲線模様の土器は、その紐の曲線が渦の曲線、波の曲線をも示しており、激しい自然の複合体を表していると考えられる。その「形」への「抽象意志」は、原日本人の中に実用性、実際性から離れた、情熱的な「芸術意志」がすでに生まれていたことをうかがわせる。そしてそれが、世界で最も早く作られた日本の土器に、世界で最も美しい装飾模様を生み出したのである。

土偶の謎を解く

 一方、人間の形をした土偶(どぐう)は、土器と異なり、実用性から生まれたものではなく、人間を(かたど)ったもので、これまで「原始的」な霊の表現などといわれてきた。

 早期(約一万年前)の土偶には、頭部、手足を伴わない胴体だけの小型土偶がある。前期(約七千年前)になると、そこに顔と腕が加わってくる。中期(約五千年前)には頭と足がある立ち姿となる。中部地方の土偶では、豊かなお尻の造形が特徴となってくる。後期(約四千年前)では、ハート形の顔を持つ土偶や円筒形の土偶も出てくるし、さらに晩期(約三千年前)になると、大型の土偶が出て、お腹に胎児を示す小土偶がある土偶も出土してくる。

 その中で『縄文のヴィーナス』(長野県棚畑遺跡出土)は、とりわけその美的な造形性で際立っている。その形態は、肥満体で有名な『ヴィレンドルフのヴィーナス』(ウィーン、歴史博物館)よりもはるかに整っている。

 当時の日本人には、こうした妊娠した女性を崇拝する心性を持っていたばかりでなく、異形に形を与え、美的に表現しようとする心理が働いていたのだ。眼が釣り上がっており、いかにも黄色人種らしい顔立ちをしている。それに加えて頭部の冠も、またしゃれている。

 また、後期の『ハート形土偶』(群馬県郷原遺跡出土)もそのハート形の顔や、丸くえぐった体の線のアーチ形からは、明らかに装飾化、単純化の意志が感じられる。さらには、青森県亀ヶ岡遺跡の『遮光器土偶』も、大きな眼鏡のような形や、渦巻きの形によって、異形の姿を装飾しており、日本の土偶は世界の土偶の中でもそのユニークさを誇っている。(田中英道)
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