読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-1
kiji
0
1
1061214
0
日本史の中の世界一
2
0
2
0
0
0
0
歴史
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
2 世界最古の庭園──千居・縄文遺跡

『日本史の中の世界一』
[責任編集]田中英道 [発行]扶桑社


読了目安時間:6分
この記事が役に立った
2
| |
文字サイズ

2 世界最古の庭園──千居(せんご)・縄文遺跡


最初の枯山水

 昭和四十五年(一九七〇)から翌年にかけて発掘された静岡県富士宮市の千居(せんご)遺跡(大石寺所有)は、国の史跡として指定されている、最初の枯山水(かれさんすい)といわれる遺跡である。全長四十メートルほどの二列の帯状配石と、いくつもの環状配石が出土しているが、その遺物により、今から約四、五千年前の縄文中期のものと推定されている。

 その環状配石の中の第二配石と命名された直径約三・五メートルの一群に、中央に高さ七十センチほどの富士山型の石がある。これが偶然の形ではないことは、背後が富士山となっており、さらに高さ六十センチの石を立て、前面に二十センチから五十センチほどの小石を配したものが見られ、これを合わせて、山の風景としてつくられていることから明らかである。

 これらは緩やかな斜面につくられており、下の方から見上げると二つの立石が高くそびえているように感じられ、この環状配石が墓ではないことからも、考古学者によって、祭祀(さいし)遺跡と推定されている。縄文時代の噴火による火山灰を浴びて埋もれていたのを、そのまま掘り出したもので、整備の際にも石を動かしていないという(小野真一『祭祀遺跡』ニュー・サイエンス社、一九八二年)

 これを世界最古の庭園の姿だ、という研究者もいる。古代縄文人は山中の大岩や岩盤を神が鎮座する所と考えていたらしく、これを磐座(いわくら)と呼び、神が鎮座する場所を岩石で囲んだものを磐境(いわさか)と名づけている。このような信仰が存在していたことから、石を立てることで崇拝する山を人工的に築き始めたことが、日本庭園の起源になったとする説である。するとこれが世界最古の庭園ということになる(『日本庭園史大系1』社会思想社、一九七三年/飛田範夫『日本庭園と風景』学芸出版社、一九九九年)

 縄文人が、このように富士山の形をつくり、それを神像のように(あが)めていたということは十分考えられることで、醍醐(だいご)三宝(さんぼう)院で、富士山型の築山(つきやま)が安土桃山時代に築かれており、江戸時代には、大名の庭園に富士の築山が築かれていることでも理解できよう。それらの中では、熊本の成趣(じようじゆ)(水前寺公園)にあるものが最も名高い。

 日本列島最古の集落跡とされる静岡県大鹿窪(おおしかくぼ)の窪A遺跡は、旧石器時代直後の縄文草創期に属するが、そこに暮らしていた縄文人も富士山を特別な思いで眺めていたことが判明している。というのも環状に並んだ竪穴(たてあな)式住居跡が、富士山の見える北東方向にのみ、存在しないからである。代わりに、そこには大小の石を同心円状に三重に並べた祭祀跡が発見されている。明らかに富士の高嶺を遥拝(ようはい)しながら、何らかの祭儀を行っていたと推測される(町田宗鳳『山の霊力』講談社選書メチエ、二〇〇三年)

 中国古代の神仙思想は古いものであるが、その造形的表現としては、漢時代の海中の博山(はくさん)の形をした香炉(こうろ)が日本に残されている(大阪市立東洋陶磁美術館)。高さ二十五センチほどのもので、炉蓋(ろがい)の博山は山頂が高く(そび)え神仙の住んでいるがごとく、雲気が周囲に漂っている。山裾には獅子や猿などが配されている。中国では山景の様が(かわら)や鏡に表現されてはいる。しかしそれらは理想化された神仙風景で、特定の山の風景ではないし、時期的にもずっと後といってよい。

 西洋でも山を信仰することはケルト文化にあっただろうし、ギリシャ神話のオリンポス山の信仰もあった。しかしそれが単独で形に表現されることはなかった。ましてやキリスト教文化においては、そこが悪魔の住みかであっても、日本のように神の住むところではなかったのである。近代になってようやく、それがロマン主義の対象になり、十八世紀から十九世紀の山岳表現が絵画で主題になった。

富士山は世界一か

 ところで、なぜ日本では富士山なのであろうか。

 富士山信仰はすでに『万葉集』の時代から言葉や絵画で表現されている。
「言ひも得ず 名付けも知らず (くす)しくも います神かも」(巻三─三一九)

 あるいは、山部赤人は、
「天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り()け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は」(巻三─三一七)

 と歌っている。富士を神のように崇めていたことが、この歌からもわかるが、この心情はそれ以前から続いていたのであろう。

 富士山の絵画は、葛飾北斎の『富嶽(ふがく)三十六景』に至るまで引き続き描かれた。富士山を世界的にしたのは北斎であったといえるであろう。北斎は『富嶽百景』の中で、「来朝の不二」という図で、朝鮮通信使とともにこの富士山を描いている。そこでは通信使たちが、後姿で富士を見つめている。富士がすでに日本人の尊敬の対象だけでなく、朝鮮人にもまた美しく映ったという事実を描こうとしたように見える。

 北斎はさらに、「富士山と唐人」という題で三枚もの肉筆画を描いており、その二例は「富士と徐福(じよふく)」という題で、不老不死の薬を求めて秦代に日本にやって来たと伝えられる徐福が、富士を仰ぎ見ている姿を描いている。

 日本人の多くは、富士山が世界一美しい山だと、いつのまにか信じるようになったらしい。明治十四年の『小学唱歌集・初編』に唱歌「富士山」で、
「外国人も あふぐなり わがくに人も ほこるなり 照る日のかげ そらゆくつき つきひとともに かがやきて 富士てふ山の みわたしに しくものもなし にるもなし」

 と、外国人も仰ぎ、日本人としてこれにまさる誇りはないと小学生に歌わせているのである。明治四十一年の『富岳志』では、著者の静観道人(せいかんどうじん)曽田文甫(そうだぶんほ)もやはり、
「太古以来、巍然(ぎぜん)として国の中央に特立し、之に配するに国母を以てし、端麗(たんれい)なる()(かたち)、崇高なる其の神、永く国家の鎮となり、民衆の儀表(ぎひよう)となり、更に外人をして膽仰止(たんぎようや)(あた)わざらしむる者、我富嶽にあらざるや」

 と述べている。

 ただ、山の美しさを、世界一とすることは難しい。世界で孤立した山だけを見ても、アフリカのキリマンジャロや、アルプスのマッターホルンなど枚挙にいとまがない。しかしその精神性、国民の伝統的な愛情を考えると、富士山の美しさは世界一といっていいだろう。縄文遺跡から北斎、広重の富嶽図、現代画にまで連綿として表現されるその美術の量からしても、世界のどの山をも圧倒しているのである。(田中英道)
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
2
残り:-23文字/本文:2779文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次