なぜ、どのようにして造られたのか?
日本人の巨大さに対する追求は、仁徳天皇陵に最もよく表れている。
この「前方後円墳」と呼ばれる古墳は、全長が四八六メートル、円の部分は高さ三四メートルもある。取り囲む二重の濠まで含めた総面積は三四万五、四八〇平方メートルであり、秦の始皇帝の底面積一一万五、六〇〇平方メートルの三倍、エジプト最大のクフ王の大ピラミッドの底面積五万二、九〇〇平方メートルの六倍以上だ。大きさだけでなく、その全体の形態は中国にも朝鮮にも前例のない美しい形態である。
五世紀、日本人の皇祖霊信仰の高まりがこのような巨大な墳墓を建設させた。当時まだ天皇などいなかった、という否定論者がいるかもしれないが、その名前はなくとも、それに匹敵する大王がいたということは確かである。
中国の南朝の史書『宋書』に記されている「倭の五王」、讃・珍・済・興・武の中の讃か珍のどちらかがそれであったといわれる。